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廃線・廃止になった鉄路
工業都市"茂原"と三井東圧化学専用線のすべて (21)
専用線所管駅「茂原駅」と三井東圧化学専用線について

貨物取扱駅としての茂原駅の全盛期
戦後、千葉県茂原市で豊富に採掘されていた"天然ガス"を材料や燃料として活用するため、肥料・化学製品などを生産していた東洋高圧工業 (後の三井東圧化学)、および電子管・テレビブラウン管などを生産していた日立製作所などの大手企業の事業所が進出しました。これにより、外房線茂原駅で取り扱われる鉄道貨物は従来の"農産物"から"工業製品"へと大きく変わりました。(天然ガスについては、前章「"天然ガス"がもたらした茂原市の工業都市化」、各主要企業については、前章「工業都市"茂原"を形成する主要企業について (1)」で詳しく解説)

また、ミニコーナー「昭和から令和への鉄道輸送、モーダルシフトと物流の主役への再興」では、茂原駅を含むかつて全国の物流の主役であった鉄道輸送が衰退した理由や、近年では世界的な環境問題の高まりから、鉄道輸送が復権しつつある現状について、付録「茂原駅で貨物入替作業で活躍した、入替機関車 (スイッチャー)」では、茂原駅で見られたスイッチャーなどを紹介しています。

肥料・建材・テレビブラウン管の需要拡大による貨物量の増加

前章「貨物駅としての外房線「茂原駅」の歩み」で解説した通り、昭和30年代 (1955年から1964年) から40年代 (1965年から1974年) 前半は、国内で化学肥料やテレビの需要が高まっていた時期と重なり、毎年外房線茂原駅の貨物取扱量が増加していた時期でした。

国鉄茂原駅一日平均の貨物状況 (車扱・貨車両数)
(参考:千葉県統計年鑑 国鉄駅別1日平均運輸状況)

茂原駅の貨物施設では、駅の南東方向に位置する日立製作所茂原工場 (日立ディスプレイズを経て、現在のジャパンディスプレイ茂原工場) で、年間2,190トンのテレビのブラウン管製造に必要な材料や部品の輸送、および生産したブラウン管を札幌、仙台、名古屋、九州方面へ出荷するために、工場と茂原駅貨物施設間ではトラック輸送を行い、外房線茂原駅からは鉄道輸送を活用していました。1962年 (昭和37年) 時点で、日立製作所茂原工場はブラウン管製造分野で国内トップシェアを誇っていました。(日立製作所茂原工場については、前章「工業都市"茂原"を形成する主要企業について (2) [日立製作所]」で詳しく解説)

1975年1月 (昭和50年) 茂原駅周辺工場分布図及び専用線
[パソコンのみ:マウスポインタで画像に触れると表記無し画像に切り替わります]
国土地理院「茂原」(昭50)加工

また、茂原郵便局は1978年 (昭和53年) 10月1日まで鉄道便を使用しており、普通列車に荷物・郵便輸送車 (スユニ61・キユニ19・クモユニ74など) が1両連結され、各駅で郵便物や手荷物・小荷物を積み降ろししていました。

[右] 茂原駅下り2番線ホームに入線した、荷物・郵便輸送車 (クモユニ74)
左には165系急行「外房」、113系近郊形電車の先頭に連結したクモユニ74 (八積方)
(写真提供:スピードスター様)

茂原駅の貨物側線に接続していた「東洋高圧工業専用線」(三井東圧化学専用線) でも、新設された東洋高圧工業千葉工業所 (三井東圧化学千葉工業所を経て、現在の三井化学茂原分工場) の各種化学プラント工場が次々と稼働し、原料となる硫酸などの各種化学薬品が輸送され、工業所内で生産された化学肥料や化成品などの出荷が急増しました。同様に、「関東天然瓦斯開発専用線」を第三者が使用して、不燃石膏ボードなどの建材を製造していた同和ジプサム・ボード茂原工場では、材料の化学石膏の受け入れが行われていました。(三井東圧化学専用線での貨物輸送については、前章「三井東圧化学専用線で行われた、鉄道貨物輸送の歴史」で詳しく解説)

「専用線」について簡単に説明すると、貨物駅から工場や倉庫などの事業所に引き込まれた鉄道の線路で、駅での貨物の収集や輸送が簡略化され、事業所内での貨車への積み降ろしができるため、経費を大幅に削減できる鉄道の線路のことを指します。


専用線所在駅としての茂原駅について
かつて国内の物流は国鉄 (日本国有鉄道) の鉄道輸送が主要な輸送手段であり、1959年 (昭和34年) 時点では鉄道輸送は約4割を占めていました。専用線を通じた貨物取扱量は国鉄の総貨物取扱トン数の44%を占め、発送トン数では51.6%を占めており、茂原駅のように専用線を所管していた駅も年々増加していました。(鉄道輸送については、後述のミニコーナー「昭和から令和への鉄道輸送、モーダルシフトと物流の主役への再興」で詳しく解説)

1961年 (昭和36年) 時点で、茂原駅での三井東圧化学専用線 (東洋高圧工業専用線) の年間貨物取扱量は、国鉄の千葉鉄道管理局 (総武本線・成田線・外房線・東金線・木原線・内房線・久留里線を管轄) 管内では「川崎製鉄 (現在のJFEスチール)」、「東京都 (東京都港湾局専用線の豊洲石炭埠頭線)」、「東京瓦斯 (現在の東京ガス)」に続く第4位となっていました。

 順位   所轄駅  路線名 専用者名 発着トン数
1 蘇我 房総東線
(現・外房線)
川崎製鉄 (株)
現・JFEスチール (株)
 1,282,899 
2 越中島 総武本線貨物支線
(越中島支線)
東京都港湾局専用線
[豊洲石炭埠頭線]
361,086 
3 越中島 東京瓦斯 (株)
現・東京ガス (株)
265,415 
4 茂原 房総東線
(現・外房線)
東洋高圧工業 (株)
現・三井化学 (株)
189,237 
5 越中島 総武本線貨物支線
(越中島支線)
東京都港湾局専用線
[晴海線]
184,636 
6 越中島 東京電力 (株)
 現・東京電力ホールディングス(株) 
130,119 
7 新小岩 総武本線貨物支線
 (新金線・越中島支線) 
日本通運 (株) 122,109 
8 銚子 総武本線 ヤマサ醤油 (株) 120,300 
9 越中島 総武本線貨物支線
(新金線・越中島支線)
豊洲鉄道運輸 (株) 89,127 
10 銚子 総武本線 銚子醤油 (株)
現・ヒゲタ醤油 (株)
86,487 
1961年 (昭和36年) 千葉鉄道管理局内専用線会社別取扱状況
(参考:千葉鉄道管理局史)

茂原駅の貨物施設は、茂原駅の高架化に伴い新茂原貨物駅 (正式名称は、新茂原駅貨物施設) に移管され、1981年 (昭和56年) 11月に廃止されました。その後、1996年 (平成8年) 3月16日のJRグループのダイヤ改正で新茂原貨物駅での貨物輸送も終了し、外房線では現在、貨物輸送が行われていません。ただし、外房線の蘇我駅では京葉臨海鉄道がJR貨物に貨車を引き渡しており、千葉駅から蘇我駅までの区間では貨物列車を見ることができます。(新茂原貨物駅については、後章「三井東圧化学専用線所管駅「新茂原貨物駅」(新茂原駅貨物施設) の歩み」及び、「新茂原貨物駅 (新茂原駅貨物施設) の駅施設・荷役設備の紹介」で詳しく解説)

蘇我駅 (1番線ホームより)
(筆者撮影)
蘇我駅 (跨線橋より、千葉方を見る)
(筆者撮影)

外房線茂原駅の側線と接続していた各専用線について
茂原駅での専用線の変遷

各種資料から、茂原駅は開業当初から貨物駅としての機能 (荷役設備) を備えていたと考えられます。

1897年 (明治30年) 茂原駅 配線略図

最初に接続された専用線である「茂原海軍航空基地専用線」は、太平洋戦争が勃発する直前の1941年 (昭和16年) 9月に茂原駅の北東部に設置された、海軍省施設部の「茂原海軍航空基地」 (海軍茂原飛行場)まで敷設され、貨車の入れ替え作業は当時の航空写真から現在の茂原駅東口の町保シティービル辺りから八積方に引上線らしきものが確認でき、この付近で行われていたと推測しています。(茂原海軍飛行基地については、廃線・廃止になった鉄路「旧茂原飛行場と軍用引込線」で解説)

1958年 (昭和33年) 茂原駅専用線 配線略図

1975年 (昭和50年) 茂原駅専用線配置図 (点線は廃線)
[パソコンのみ:マウスポインタで画像に触れると表記無し画像に切り替わります]
国土地理院「茂原」(昭50)加工

戦後、エネルギー不足から当時房総地区では天然ガスを燃料として使用していた「キハ41200形気動車」(通称・ガスカー) が運行されていました。1950年 (昭和25年) 7月に、天然ガスの採掘事業を行っていた大多喜天然瓦斯 (株) 茂原鉱業所 (現在の関東天然瓦斯開発) まで「瓦斯充填線」が敷設され、ガスカーが直接乗り入れて天然ガスの補給を受けていました。(関東天然瓦斯開発については、前章「工業都市"茂原"を形成する主要企業について (3) [関東天然瓦斯開発]」で詳しく解説)

1952年 (昭和27年) 頃の茂原駅構内のガスカー
<AI Colorized> (画像出典:もばら風土記)
茂原鉱業所内で燃料充填中のガスカー
<AI Colorized> (画像出典:ガス工業)

その後、「関東天然瓦斯開発専用線」と改名され、主に内房線の木更津駅へ圧縮天然ガスボンベの出荷に使用され、1956年 (昭和31年) 以降は、建材として使用される石膏ボードの生産を行っていた同和ジプサム・ボード (株) 茂原工場 (後の合同資源産業茂原工場、現在は合同資源に改称) が専用線を借り受けて、原料の受け入れが行われていました。(同和ジプサム・ボードについては、「工業都市"茂原"を形成した主要企業について [同和ジプサム・ボード]」で詳しく解説)

1951年 (昭和26年) 3月に、(有) 野口産業茂原営業所まで「野口産業専用線」が敷設され、1957年 (昭和32年) 7月に「東洋東圧工業専用線」(三井東圧化学専用線) が東洋高圧工業 (株) 千葉工業所 (三井東圧化学千葉工業所) まで敷設されました。(東洋高圧工業千葉工業所については、前章「東洋高圧工業 (三井東圧化学) 千葉工業所の誕生」、「三井東圧化学千葉工業所 (茂原工場) の黎明期から縮小期まで (1)」で詳しく解説)

野口産業専用線 (専用線跡の赤線は航空写真から推測)
(写真提供:Poppy様加筆)

野口産業茂原営業所の跡地は、
その後同社が管理する月極駐車場となり、
現在は「町保シティビル」となっています。

専用線はこの辺りから山之内病院の手前まで
伸びていたと思われます





1956年 (昭和31年) 9月に前述の茂原海軍航空基地 (茂原飛行場) 跡地で、東洋高圧工業 (株) 千葉工業所 (後の三井東圧化学千葉工業所、現在の三井化学茂原分工場) の建設がはじまり、1957年 (昭和32年) 10月には「東洋高圧工業専用線」(三井東圧化学専用線の旧称) が敷設され、当初は千葉工業所の建築資材を輸送し、原料の受け入れや生産した化学肥料の出荷が行われていました。

専用線
番号
専用線名 専用者名 真荷主 発着トン数
1222 東洋高圧専用線 東洋高圧工業(株) 大成建設(株)
三井物産(株)
189,237
1220  関東天然瓦斯開発専用線   関東天然瓦斯開発 (株) 関東天然瓦斯開発(株)
 同和ジプサムボード(株)
20,571
1221 野口産業専用線 (有) 野口産業 699
1961年 (昭和36年) 茂原駅専用線会社別取扱状況
(参考:千葉鉄道管理局史)

1973年 (昭和48年) 時点での各専用線の総延長は、三井東圧化学専用線 (旧称は東洋高圧工業専用線) が「7,811m」、関東天然瓦斯開発専用線が「211m」、野口産業専用線が「47m」となっていましが、茂原駅の高架に伴い、関東天然瓦斯開発専用線と野口産業専用線は廃止となり、三井東圧化学専用線は1981年 (昭和56年) 12月1日に開業した、新茂原貨物駅 (正式名称は、新茂原駅貨物施設) へ移管されました。(新茂原貨物駅については、後章「三井東圧化学専用線所管駅「新茂原貨物駅」(新茂原駅貨物施設) の歩み」で詳しく解説)


外房線茂原駅が所管していた専用線で輸送された貨物について
専用線会社名 取扱トン数 積載数 (両/日)
発 (品名) 着 (品名)
東洋高圧工業
(→三井東圧化学)
195,000
(肥料・メタノール)
73,000
(肥料・硫酸)
 268,000  32.2  7.7  39.3
関東天然瓦斯開発 - - - - - -
 同和ジプサムボード 
(→合同資源産業)
- 27,000
(石・鉱さい)
27,000 - 3.8 3.8
野口産業 - 1,000
(砂利・セメント)
1,000 - 0.1 0.1
1965年 (昭和40年) 茂原駅専用線会社別取扱状況
(参考:日本国有鉄道建設局調べ)

三井東圧化学専用線 (東洋東圧工業専用線)

発送貨物は、主に東洋高圧工業千葉工業所 (三井東圧化学千葉工業所) で生産された化学肥料やメタノールなどの化成品を、有蓋車 (ワキ1000など) や同社が所有するタンク車 (タキ5200形など) に積載して輸送していました。

30t積2軸ボギー有蓋車
(前期4枚窓) (窓なし)
ワキ1000 (小口貨物輸送用)
常備駅: 茂原駅
[イメージ出典: ホビーサーチ]

また、到着する貨物は主に化学肥料の製造に使用される硫酸となっており、これは日本鉱業 (現在の新日鉱ホールディングス) が茨城県にある日立鉱山硫酸工場からタンク車で輸送していたようです。(詳細については、付録「三井東圧化学千葉工業所で生産された主要製品について」の「東洋高圧工業 (株) 千葉工業所の主要原料とその調達先」を参照)

関東天然瓦斯開発専用線

この時期、関東天然瓦斯開発茂原鉱業所での専用線による圧縮天然ガスボンベの輸送は終了し、同和ジプサムボード茂原工場はこの専用線を第三者として利用し、石こうボード製造に必要な化学石膏などを親会社の同和鉱業 (現在のDOWAホールディングス) の秋田県に所在する小坂鉱業所及び花岡鉱業所などから無蓋車 (小坂鉄道トラ4000形など) で輸送していたと思われます。(同和ジプサム・ボードについては、付録「工業都市"茂原"を形成した主要企業について [同和ジプサム・ボード]」で詳しく解説)

野口産業専用線

(有) 野口産業の本社は長生郡長南町にあり、木材や製材など建築資材を販売する問屋でした。茂原営業所は茂原駅東口付近に位置し、茂原近郊では入手できない砂利やセメントを専用線を利用して輸送していたようです。


各専用線の詳細について
茂原駅で使用された機関車については、国鉄所有機に関しては後述する「茂原駅で貨物入替作業で活躍した、入替機関車 (スイッチャー)」の項目で詳しく解説いたします。東洋高圧工業 (三井東圧化学) 私有機については、付録「三井東圧化学専用線で見られた、入換機関車や貨車について」で詳しく解説しています。

東洋高圧工業専用線 / 三井東圧化学専用線 (専用線番号:1222)
1957年 (昭和32年) 7月31日 竣工 / 1958年 (昭和33年) 2月 供用開始
1957年
(昭和32年)
1961年
(昭和36年)
1964〜1967年
(昭和39〜42年)
1970年
(昭和45年)
1975年
(昭和50年)
所管駅 茂原駅
専用者 東洋高圧工業 (株) 三井東圧化学 (株)
第三者
使用
真荷主 大成建設 (株) 大成建設 (株)
三井物産 (株)
大成建設 (株)
三井物産 (株)
日本農材工業 (株)
日本農材工業 (株)
通運
事業者等
南総通運 (株)
作業キロ 3.8km
(0.3km: 国鉄機)
専用線種別 側線
作業方法 私有機・国鉄機
記事 - - - 専用線総延長: 9km 専用線総延長: 8km

関東天然瓦斯開発専用線 (専用線番号:1220)
1950年 (昭和25年) 7月 供用開始
1957年 (昭和26年) 1959年 (昭和28年) 〜
1959年 (昭和34年)
1967年 (昭和42年) 〜
1975年 (昭和50年)
所管駅 茂原駅
専用者 大多喜天然瓦斯 (株) 関東天然瓦斯開発 (株)
同和ジプサム・ボード (株)
関東天然瓦斯開発 (株)
合同資源産業 (株)
作業キロ 0.3km 0.4km
専用線種別 側線
作業方法 国鉄動車 国鉄動車・手押
記事 瓦斯充填線・国鉄側線 国鉄側線 国鉄側線・共用

野口産業専用線 (専用線番号:1221)
1951年 (昭和26年) 3月13日 供用開始
1957年 (昭和26年) 1959年 (昭和28年) 〜
1975年 (昭和50年)
所管駅 茂原駅
専用者 (有) 野口産業
作業キロ 0.1km
専用線種別 側線
作業方法 手押・国鉄機 手押
記事 - -
(参考「専用線一覧について(営業局)」別表 昭和26・28・32・36・39・42・45・50年)
(参考:千葉鉄道管理局史)
表中の「国鉄機」とは、国鉄所有の機関車を指し、「国鉄動車」とは、国鉄所有の動車を指します。
「手押」は人力を意味し、「私有機」とは、専用者が所有する機関車または動車を指します。


次章「三井東圧化学専用線 (茂原駅〜三井東圧化学千葉工業所間) [旧ルート]」では、1975年 (昭和50年) に稼働していた三井東圧化学専用線 (茂原駅起点・旧線ルート) と、廃線から35年後の2016年 (平成28年) の様子を振り返り、そのほとんどが遊歩道に転用された様子を、当時のルートをたどりながら稼働時の写真と比較して紹介いたします。

(公開日:2024.01.21/更新日:2024.04.24)

三井東圧化学専用線 (茂原駅〜三井東圧化学千葉工業所間) [旧ルート] 
貨物駅としての外房線「茂原駅」の歩み

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