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トップ - 特集「工業都市"茂原"と三井東圧化学専用線のすべて」(目次)
廃線・廃止になった鉄路
工業都市"茂原"と三井東圧化学専用線のすべて (10)
工業都市"茂原"を形成する主要企業について (3)
関東天然瓦斯開発株式会社

前節「工業都市"茂原"を形成する主要企業について (1)」では、三井東圧化学 (株) 千葉工業所 (現・三井化学茂原分工場) の関連企業について、「工業都市"茂原"を形成する主要企業について (2)」では、(株) 日立製作所茂原工場 (現在は、ジャパンディスプレイ茂原工場) の歴史に焦点を当てました。このセクションでは、「関東天然瓦斯開発 (株) 茂原鉱業所」の歴史や成り立ちについて解説いたします。

関東天然瓦斯開発 (株) 茂原鉱業所
(橙円は有水式ガスホルダー、緑円は球形ガスホルダー)
国土地理院「茂原」(平24)加工

また、付録「工業都市"茂原"を形成した主要企業について」では、東芝コンポーネンツ (株) 茂原工場パナソニック液晶ディスプレイ (株) 茂原工場 (現在は、ジャパンディスプレイ茂原工場) 、同和ジプサム・ボード (株) 茂原工場 (現在は、合同資源) の各企業の歴史についても解説いたします。



関東天然瓦斯開発 (株) 茂原鉱業所

国内初の天然ガス事業会社として設立

現在、茂原市を中心に天然ガスの開発、採取、販売、およびヨウ素の製造を行っている「関東天然瓦斯開発 (株)」は、かつて「大多喜天然瓦斯 (株)」として知られていました。この会社は、夷隅郡大多喜町の出身である実業家であり、理化学研究所 (以下、理研) の第3代所長で物理学者の大河内正敏博士を中心に、1931年 (昭和6年) 5月に、国内初の天然ガス事業会社として資本金100万円 (現在の価値で約11億5,000万円※1) で設立されました。本社は東京都千代田区麹町にあり、営業所は千葉県夷隅郡大多喜町に開設されました。

1936年 (昭和11年) 頃の大多喜天然瓦斯 (株) 営業所
<AI Colorized> (画像出典:燃料国策と理研の大多喜天然瓦斯に就て)

同年7月に、茂原地区や大多喜地区で天然ガスの採掘をしていた大河内正敏博士の実弟が代表をつとめる匿名組合「大多喜鉱業組合」から大多喜地区の第20鉱区を約85万円 (現在の価値で約9億8,000万円※1) で買収し、大多喜地区の第1号となるガス井の試掘を行いました。

同社の設立に関しては、都内で鉄くず回収を営んでいた「於莵 (おと) 商会 (朝日興業)」継承説という説もありますが、別の機会に紹介いたします。また、大河内正敏博士については、前節「工業都市"茂原"を形成する主要企業について (2) [日立製作所]」のミニコーナー「日立茂原工場の源流、理研コンツェルンが拓いた日本産業の未来」で詳しく解説いたします。

茂原市で都市ガス供給の開始

1933年 (昭和8年)、大多喜天然瓦斯は長生郡茂原町 (現在の茂原市) に進出し、茂原駅南東部に「大多喜天然瓦斯 (株) 茂原鉱業所」(現在の関東天然瓦斯茂原鉱業所) の設立に向けて準備を進めました。1934年 (昭和9年) 1月、鉱業法に適合するため、大多喜天然瓦斯は都市ガスの販売に特化した子会社「千葉天然瓦斯 (株)」(現在の大多喜ガス) を資本金50万円 (現在の価値で約4億4,000万円※1) で設立し、茂原鉱業所の敷地内に千葉天然瓦斯茂原営業所の開設の準備を始め、同年9月には茂原地区で深度363mのガス井の試掘を行い、10月に前述の大多喜鉱業組合から10鉱区を50万円 (現在の価値で約4億4,000万円※1) で買収しました。

1936年 (昭和11年) 頃の千葉天然瓦斯茂原営業所内の
茂原瓦斯配給所
<AI Colorized> (画像出典:石油時報)

1935年 (昭和10年) 7月、千葉天然瓦斯茂原営業所が開所し、同月には容量800立方メートルのガスホルダー (ガスタンク) が設置されました。そして、10月には茂原営業所から茂原町の49戸に都市ガスの供給が始まり、11月には大多喜天然瓦斯茂原鉱業所が開所しました。さらに、翌年の1936年 (昭和11年) 3月には、長生郡一宮町と夷隅郡国吉町 (現在のいすみ市) でも都市ガスの供給が始まりました。

天然ガス自動車の登場

戦前、理研は茂原・大多喜地区で豊富に埋蔵されている天然ガスを原料とした自動車用代替燃料「圧縮天然ガス」(CNG) の研究を行っており、「京成電気軌道 (株)」(現在の京成電鉄) は乗合バスでの実用化を目指し、1936年 (昭和11年) 6月に理研が設立した「理研ピストンリング (株)」(現在のリケン) に天然ガス自動車の試作車を発注しました。

天然ガス自動車の試作車 (乗合バス) 車体後部に積まれた、圧縮ガスボンベ
<AI Colorized> (画像出典:工業日本)

試作車は8月末に完成し、試験運転が開始されました。その結果、運用コストがガソリンの半分であることが判明し、同年10月末には京成電気軌道の乗合自動車部 (現在の京成バス) が天然ガス自動車30台を使った、千葉市から船橋市、市川市を結ぶ27kmの定期バス路線の営業を計画しました。

圧縮天然ガス (CNG) の供給開始

1936年 (昭和11年) 5月、理研は、自動車用代替燃料として天然ガスを原料とした「圧縮天然ガス」(CNG) の製造方法を確立しました。1937年 (昭和12年) 7月、大多喜天然瓦斯は内務省 (現在の総務省、国土交通省、厚生労働省、警察庁) から許可を得て、大多喜天然瓦斯茂原鉱業所 (現在の関天然瓦斯開発茂原鉱業所) 内に「圧縮ガス工場」を設置し、量産を開始しました。そして、10月から圧縮天然ガスの販売を開始し、この年の営業利益は13万8,447円 (現在の価値で約9億5000万円※1) でした。

大多喜天然瓦斯 (株) 茂原鉱業所
圧縮ガス工場内の「ガス圧縮機室」
大多喜天然瓦斯 (株) 茂原鉱業所
圧縮ガス工場内の「ガス充填室」
<AI Colorized> (画像出典:天然瓦斯)

なお、前述の京成電気軌道は茂原鉱業所の圧縮ガス工場の稼働後、専用トラックを利用して大多喜天然瓦斯の茂原鉱業所から船橋詰替所までの約30kmを圧縮ガスボンベを輸送し、乗合バスの燃料を確保しました。そして、同年9月末には天然ガス自動車によるバス路線の営業を開始しました。

戦時中は軍需用にもなった、圧縮天然ガス (CNG)

1941年 (昭和16年) 6月、大多喜天然瓦斯茂原鉱業所 (現在の関天然瓦斯開発茂原鉱業所) の圧縮ガス工場が海軍の軍需品指定工場となり、1942年 (昭和17年) 1月にはガス圧縮機を3機増設し、日産量を3万立方メートルに引き上げました。そのうち、生産量の40%は軍需用として木更津海軍航空基地 (現在の陸上自衛隊木更津駐屯地) に圧縮ガスボンベ専用トラックで送られました。

1940年 (昭和15年) 頃の大多喜天然瓦斯 (株)
茂原鉱業所
昭和20年代頃の一宮川から見た
大多喜天然瓦斯 (株) 茂原鉱業所の全景
<AI Colorized> (画像出典:天然瓦斯) <AI Colorized> (画像出典:「日本大観」より)

残りの60%は民間向けとなり、当時の大多喜天然瓦斯は京成電気軌道から長生郡一宮町から東金市間、長生郡一宮町から夷隅郡大多喜町間の総延長40kmのバス営業権を保有していたため、乗合バスや茂原市を拠点とする「長夷自動車運送 (株)」(現在の京葉ロジコ) のトラック向けなどとなりました。1942年 (昭和17年) 上期の業績は136万6,721円 (現在の価値で6憶1,400万円※1) であり、そのうち圧縮天然ガスの売上は126万8,399円 (現在の価値で5憶7,000万円※1) で、利益は51万8,641円 (現在の価値で2憶3,300万円※1) となり、これは創業して以来の最高額となりました。

圧縮天然ガスを自動車にに補給している様子
<AI Colorized> (画像出典:日本のガス少年産業博物館)
バスに圧縮ガスを充填中
<AI Colorized> (画像出典:日本瓦斯協会誌)

しかし、1943年 (昭和18年) 1月に圧縮ガス工場が火災で全焼し、木更津海軍航空基地から兵員が派遣され、潜水艦で使用されていた魚雷発射用空気圧搾機を流用して暫定的に復旧されましたが、民間向けの生産量が確保できなくなり、その結果、好調だった大多喜天然瓦斯のバス事業は1944年 (昭和19年) 6月に「袖ヶ浦自動車 (株)」(現在の小湊鉄道バス) に営業権が譲渡されました。

天然ガススタンドの設置

戦時中、ガソリン不足から東京都内では約800台から1,000台程度の天然ガス自動車が走行しており、そのため大多喜天然瓦斯 (現在の関天然瓦斯開発) は、芝浦充填所や築地充填所、水道橋充填所、赤坂溜池充填所などの天然ガススタンドが設置されていました。茂原市でも大多喜天然瓦斯の茂原鉱業所内には「茂原充填所」という天然ガススタンドが設置され、一般の自動車、トラック、オート三輪が天然ガスを充填していました。茂原鉱業所周辺は非常に混雑し、従業員は日々の交通整理に追われていました。

大多喜天然瓦斯の天然ガススタンド 茂原エコ・ステーション (手前が天然ガススタンドでした)
<AI Colorized> (画像出典:天然瓦斯) (画像出典:Googleマップ)

なお、最近まで茂原市内には、関東天然瓦斯開発 (旧称は大多喜天然瓦斯) の茂原鉱業所と同じ国道128号線に面した場所に、同じグループ会社である「大多喜ガス (株)」が運営する「茂原エコ・ステーション」が1996年 (平成8年) 4月に開設され、圧縮天然ガス (CNG) の給油機 (写真手前) が設置されていました。残念ながら、2019年 (令和元年) 10月25日の大雨による浸水被害のため、2020年 (令和2年) 8月に提供が終了しました。

マル3計画、茂原海軍航空基地跡地から始まる天然ガス開発

戦後、1949年 (昭和24年) に大多喜天然瓦斯 (関東天然瓦斯開発) は都市ガスの供給事業を行っていた子会社の千葉天然瓦斯を吸収合併し、1950年 (昭和25年) 2月に茂原駅北東部の東郷地区、後に東洋高圧工業 (株) 千葉工業所 (三井東圧化学千葉工業所を経て、現在の三井化学茂原分工場) が進出する茂原海軍航空基地 (海軍茂原飛行場) 跡地の一部だった国有地41,068u (東京ドーム約1.2個分※2) を大蔵省関東財務局 (現在の財務省関東財務局) より払い下げを受け、自社で立案した「マル3計画」(日産3万立方メートル・試掘井4坑・坑井掘削数303坑) を遂行し、小規模ながら天然ガス開発を開始しました。

茂原海軍航空基地跡 (左下には富士見公園野球場が造成中)
<AI Colorized> (画像出典:茂原海軍航空隊調査報告書)

1950年 (昭和25年) 4月から9月の営業利益は275万5,700円 (現在の価値で約950万円※1) となり、株主配当は創業以来の高配当となりました。1956年 (昭和31年) 5月に大多喜天然瓦斯は東洋高圧工業 (後の三井東圧化学、現在の三井化学) 傘下に入り、さらなる大規模開発「マル5計画」(日産13万立方メートル・ガス井50坑) に着手することになります。この年の営業利益は2,251万3417円 (現在の価値で約5,400万円※2) となっています。(マル5計画については、後章「東洋高圧工業 (三井東圧化学) 千葉工業所の誕生」の「マル5計画と安定供給戦略、東洋高圧工業と関東天然瓦斯開発の天然ガス開発事業」で解説)

地域を支えるエネルギー、関東天然瓦斯開発 (株) の展望

1956年 (昭和31年) 8月、天然ガスの需要が急増していた大多喜天然瓦斯は、天然ガス開発に注力するため、個人宅向けLPガスの販売と圧縮天然ガスの製造・販売を行う子会社である「大天瓦斯販売 (株)」を資本金2,000万円 (現在の価値で約4,800万円※1) で設立しました。そして、1957年 (昭和32年) 1月、大多喜天然瓦斯は現在の「関東天然瓦斯開発 (株)」に商号を変更し、大天瓦斯販売は「大多喜天然瓦斯 (株)」に改称されました。1992年 (平成4年)、大多喜天然瓦斯は現在の「大多喜ガス(株)」に商号を変更し、都市ガスやガス機器の販売などを手掛けています。

1971年 (昭和46年) 頃の関東天然瓦斯開発 (株) 茂原鉱業所
<AI Colorized> (画像出典:千葉県年鑑)
1964年 (昭和39年) 関東天然瓦斯開発 (株)
大多喜天然瓦斯 (株) 広告

2023年 (令和5年) 現在、関東天然瓦斯開発は2002年 (平成14年) 4月に三井化学 (旧社名は三井東圧化学) との資本関係を解消し、現在は「K&Oエナジーグループ (株)」の傘下となっており、同社は引き続き各企業に天然ガスを供給しています。また、千葉県夷隅郡大多喜町の「大多喜鉱業所」と神奈川県横浜市鶴見区の「多摩川鉱業所」は廃止されたと思われ、茂原鉱業所が関東天然瓦斯開発の本社となっているようです。

茂原市にある関東天然瓦斯開発 (株) 本社 (茂原鉱業所)
(出典:Googleマップ)

なお、K&Oエナジーグループについては、後章「東洋高圧工業 (三井東圧化学) 千葉工業所の誕生」の「マル5計画と安定供給戦略、東洋高圧工業と関東天然瓦斯開発の天然ガス開発事業」で解説いたします。

(※1:日銀企業物価指数を基に換算/※2:東京ドーム47,000u・14,217坪で換算)


次章「東洋高圧工業の誕生から三井東圧化学に至る系譜」では、三井東圧化学 (現在の三井化学) の起源である東洋高圧工業から、三井化学工業と合併し、そして三井東圧化学へ至る系譜について解説いたします。東洋高圧工業の設立の経緯や、三井財閥の中心的存在である三井鉱山が東洋高圧工業や三井化学工業の設立に関与した役割に触れつつ、この3社の事業所が立地していた鉱工業都市である福岡県大牟田市の重要性にも言及いたします。

(公開日:2024.01.21/更新日:2024.03.23)

東洋高圧工業の誕生から三井東圧化学に至る系譜 
茂原市の商業地区の発展と変遷について (2)

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