外房線 (JR東日本・千葉支社) ガイド・ファンサイト

〜 地元 「外房線」に関する歴史・車両などを紹介したサイトです 〜
トップ - 特集「工業都市"茂原"と三井東圧化学専用線のすべて」(目次)
廃線・廃止になった鉄路
工業都市"茂原"と三井東圧化学専用線のすべて (11)
東洋高圧工業の誕生から三井東圧化学に至る系譜

前章「工業都市"茂原"を形成する主要企業について (1) [三井東圧化学]」では、千葉県茂原市にある三井東圧化学 (株) 千葉工業所 (現在の三井化学茂原分工場) の主な関連企業について解説しました。この章では、三井東圧化学の母体である東洋高圧工業 (株) の歴史や、三井化学工業 (株) との合併後、三井東圧化学 (株) となった体制について系譜図を使い解説いたします。

1958年 (昭和33年) 東洋高圧工業 (株) 広告 1971年 (昭和46年) 三井東圧化学 (株) 広告

また、各ミニコーナーとして、「三井化学の源流、「三井化学工業」の変遷と石油化学分野への展開」では、前述の三井化学工業の歴史や東洋高圧工業との合併に至る経緯などについて詳しく解説いたします。さらに、「日本の産業革命の礎となった「三井鉱山」と、鉱工業都市「大牟田」」では、東洋高圧工業や三井化学工業の設立に深く関わり、三井財閥の御三家の一角であった「三井鉱山 (株)」についても触れます。

日本初のアンモニア合成に成功した「下関三井化学」の歴史と沿革」では、下関三井化学 (株) の前身である東洋高圧工業 (株) 彦島工業所の歴史に焦点を当てます。「かつて三井・三菱を凌駕した幻の総合商社、鈴木商店」では、東洋高圧工業彦島工業所を含む、(株) 神戸製鋼所や帝人 (株) などの源流となった「(名) 鈴木商店」の歴史について解説いたします。


三井東圧化学の起源、東洋高圧工業の設立
今回紹介する、化学肥料、化学品、合成樹脂などの製造を行っていた「三井東圧化学 (株)」 (現在の三井化学) の前身にあたる「東洋高圧工業 (株)」、三井グループの化学肥料製造会社として、1933年 (昭和8年) 4月1日に、三井財閥の中心企業であった後述する「三井鉱山 (株)」が資本金2,000万円 (現在の価値で約180億円※1) を投じて設立されました。 (三井鉱山については、ミニコーナー「日本の産業革命の礎となった「三井鉱山」と、鉱工業都市「大牟田」」で、鈴木商店については、ミニコーナー「かつて三井・三菱を凌駕した幻の総合商社、鈴木商店」で紹介)

東洋高圧工業 (株) 系譜図
(参考:明治百年 企業の歴史/日本硫安工業史/産業フロンティア物語)

同年5月1日には、本邦初となる「クロード法アンモニア合成」によりコークスから化学肥料の一種である「硫安」(硫酸アンモニウム) の生産を行うため、福岡県大牟田市に「東洋高圧工業三池高圧工場」(年産12万トン) の建設を着工し、6月には竣工し操業を開始しました。 (東洋高圧が化学肥料の生産をはじめた理由については、後章「国内トップシェアの化学肥料メーカー誕生から終焉まで」で詳しく解説)

1949年 (昭和24年) 1949年 (昭和24年) 1954年 (昭和29年)
東洋高圧工業 (株) 広告 <旧社紋: 高圧マーク> <新社紋: ツバメマーク>

その後、同じ三井鉱山系の姉妹会社である「三池窒素工業 (株)」や後述の「合成工業 (株)」を吸収合併し、規模を拡大して、日本最大級の化学肥料会社へと発展していきました。 (三池窒素工業については、後章「国内トップシェアの化学肥料メーカー誕生から終焉まで」の「日本最大級の化学肥料工場「東洋高圧工業 (株) 大牟田工業所」の歩み」で詳しく解説)

1950年 (昭和25年) 東洋高圧工業 (株) 広告
1967年 (昭和42年) 東洋高圧工業 (株) 製品広告
1965年 (昭和40年) 東洋高圧工業 (株) 広告

東洋高圧工業の事業内容は、硫安、尿素、過リン酸石灰を含む各種化学肥料の製造・加工と販売をはじめ、化学薬品、合成樹脂、合成繊維、医薬品、農薬、およびその他の各種化学工業品の製造・加工と販売に加えて、石油・可燃性天然ガスなどの鉱物の採掘・加工と販売および、土木、建築などの各種建設工事の請負・設計・監督など、関連資材の製造・加工と販売などを行っていました。

1956年 (昭和31年) 東洋高圧工業 (株) 製品広告
1965年 (昭和40年) 東洋高圧工業 (株) 製品広告
(※1:日銀企業物価指数を基に換算)

化学肥料業界最大手となった東洋高圧工業の6工業所の歴史
1933年 (昭和8年) 4月に「東洋高圧工業 (株)」として創業して以来、工場は福岡県大牟田市の「東洋高圧工業三池高圧工場」のみでしたが、1937年 (昭和12年) 2月に同じ三井鉱山系の「三池窒素工業 (株)」(大浦工場・横須工場) を吸収合併し、「東洋高圧工業大牟田工業所」(現在の三井化学大牟田工場) が設立されました。

東洋高圧工業 (株) 大牟田工業所 <大浦工場> 東洋高圧工業 (株) 大牟田工業所 <横須工場>
<AI Colorized> (画像出典:硫安協会月報)

なお、三池窒素工業との合併の経緯や当時の化学肥料業界については、後章「国内トップシェアの化学肥料メーカー誕生から終焉まで」の「日本最大級の化学肥料工場「東洋高圧工業 (株) 大牟田工業所」の歩み」で詳しく解説いたします。

1938年 (昭和13年) 10月に合成工業との合併で前述の「東洋高圧工業彦島工業所」(後の三井東圧化学彦島工業所、現在の下関三井化学) が誕生し、1939年 (昭和14年) 10月に北海道砂川市に新たな硫安工場として「東洋高圧工業北海道工業所」(後の三井東圧化学北海道工業所、現在の北海道三井化学) を着工し、1946年 (昭和21年) 4月に操業を開始しました。1942年 (昭和17年) 4月には、神奈川県横浜市に他の工業所などで生産された自家製原料である尿素・ホルマリンを用いて合成樹脂の製造・研究を行う「東洋高圧工業大船工業所」(後の三井東圧化学大船工業所) が着工され、1943年 (昭和18年) から操業が開始されました。(彦島工業所については、ミニコーナー「日本初のアンモニア合成に成功した「下関三井化学」の歴史と沿革」では解説)

東洋高圧工業 (株) 北海道工業所 東洋高圧工業 (株) 大船工業所 東洋高圧工業 (株) 大坂工業所
<AI Colorized> (画像出典:産業フロンティア物語)

1956年 (昭和31年) 9月に千葉県茂原市に今回当サイトで取り上げている「東洋高圧工業千葉工業所」(後の三井東圧化学千葉工業所、現在の三井化学茂原分工場) を着工し、1958年 (昭和33年) 2月にメタノール工場が操業開始し、7月に尿素・硫安工場が完成、1964年 (昭和39年) 2月に大阪府泉北郡の臨海工業地帯に「東洋高圧工業大坂工業所」(後の三井東圧化学大阪工業所、現在の三井化学大坂工場) を着工、同年11月から一部操業を開始しました。(東洋高圧工業千葉工業所については、後章「東洋高圧工業 (三井東圧化学) 千葉工業所の誕生」と「三井東圧化学千葉工業所 (茂原工場) の黎明期から縮小期まで (1)」で詳しく解説)

東洋高圧工業 (株) 千葉工業所
<AI Colorized> (画像出典:図説日本産業大系)
千葉工業所の尿素工場
<AI Colorized> (画像出典:経済時代)

主力事業所であった東洋高圧工業大牟田工業所には、1957年 (昭和32年) 時点で2,790名の従業員が在籍しており、大牟田工業所の東洋高圧内での生産能力 (年産) およびその割合 (%) は、硫安が42万8,000トン (55%)、尿素が7万4,000トン (54%)、液安が11万3,000トン (55%)、精製尿素が8,000トン (100%)、硝酸が1万8,000トン (100%)、硫酸が17万3,000トン (61%)、メタノールが8,000トン (27%) となっていました。硫安については、大牟田工業所と北海道工業所で半々に生産され、化学肥料生産では国内最大規模の工場となっていました。

東洋東圧工業の本社は東京都中央区日本橋にあり、全国に4つの営業所 (札幌・名古屋・大阪・福岡)、1つの研究所 (中央研究所)、および上記の6つの工業所 (大牟田・北海道・千葉・大阪・彦島・大船) がありました。

東洋高圧工業 (株) 本社外景
<AI Colorized> (画像出典:経済時代)
1968年 (昭和43年) 東洋高圧工業 (株) 広告

1967年 (昭和42年) に、三井化学工業との合併前、東洋高圧工業として最後の決算が行われました。この時点で、資本金は131億4,300万円 (現在の価値で約292億7,200万円※1)、売上高は238億1,815万9,000円 (現在の価値で約566億3,000万円※1)でした。従業員数は男性5,859名、女性546名で、合計6,405名が在籍しており、平均年齢は37.8歳でした。


東洋高圧工業 (株) から三井東圧化学 (株) への変革
1968年 (昭和43年) 10月1日、東洋高圧工業 (株) (事業内容: 化学肥料・化学品・合成樹脂) は、後述する同じ三井鉱山系の三井化学工業 (株) (事業内容: 合成樹脂・工業薬品・農医薬品・染料・炭製) と合併し、資本金131億4,300万円 (現在の価値で約254億9,000万円※1) となり、「三井東圧化学 (株)」(事業内容: 化学肥料・工業薬品・合成樹脂・農業薬品・医薬品・染料) へ商号変更しました。(三井化学工業や合併の経緯などについて、ミニコーナー「三井化学の源流、「三井化学工業」の変遷と石油化学分野への展開」で詳しく解説)

三井東圧化学 (株) 系譜図
(参考:日本企業要覧/明治百年 企業の歴史/東京証券取引所 証券)

三井東圧化学の本社は東京都千代田区霞が関にあり、霞が関ビルに所在していました。全国には4つの支店 (札幌・名古屋・大阪・福岡)、6つの研究所 (大船中央・目黒中央・大船商品技術・目黒商品技術・農林・大阪染色) がありました。工業所 (工場) は、 北海道砂川市の「三井東圧化学北海道工業所」、千葉県茂原市の「三井東圧化学千葉工業所」、神奈川県横浜市の「三井東圧化学大船工業所」、愛知県名古屋市の「三井東圧化学名古屋工業所」、大阪府泉北1区の「三井東圧化学大坂工業所」、兵庫県尼崎市の「三井東圧化学尼崎工業所」、広島県大竹市の「三井東圧化学大竹工業所」、山口県下関市の「三井化学彦島工業所」、福岡県大牟田市の「三井東圧化学大牟田肥料工業所」及び「三井東圧化学大牟田化学工業所」の10拠点となりました。(桃色は旧・東洋高圧工業系、水色は旧・三井化学工業気系)

三井東圧化学 (株) 北海道工業所 三井東圧化学 (株) 千葉工業所 三井東圧化学 (株) 名古屋工業所
三井東圧化学 (株) 大阪工業所 三井東圧化学 (株) 彦島工業所 三井東圧化学 (株) 大牟田工業所
(肥料・化学)
<AI Colorized> (画像出典:内航近海海運)

1969年 (昭和44年) 3月現在、三井東圧化学の従業員数は男性1万46名、女性958名で合計1万1,004名が在籍しており、平均年齢は38.9歳でした。合併後の初の売上高は、506憶6,873万5,000円 (現在の価値で約1,098憶6,207万6,000円※1) でした。

1970年 (昭和45年) 三井東圧化学 (株) 広告 1981年 (昭和56年) 三井東圧化学 (株) 広告

なお、三井東圧化学発足後の様子や現在の三井化学となる経緯についは、後章「本邦初の石油化学会社誕生と三井グループ化学部門の対立」及び、「三井東圧化学を取り巻く、化学業界の情勢」で詳しく解説しております。

(※1:日銀企業物価指数を基に換算)


次章「東洋高圧工業 (三井東圧化学) 千葉工業所の誕生」では、日本が石炭から石油へのエネルギー転換期における東洋高圧工業 (後の三井東圧化学、現在の三井化学) の天然ガス戦略に焦点を当てます。また、千葉県茂原市が工場立地としては不利な内陸部に東洋高圧工業の新工場を誘致し、それが千葉工業所 (現在の三井化学茂原分工場) の設立につながった経緯についても解説いたします。

さらに、日本航空史における新たな一歩となった「旧海軍茂原飛行場」についてもミニコーナー「「戦後の民間航空発祥の地」となった旧海軍茂原飛行場」として紹介いたします。この飛行場跡地に後に東洋高圧工業千葉工業所 (後の三井東圧化学千葉工業所、現在の三井化学茂原分工場) が設置されることとなりました。

(公開日:2024.01.21/更新日2024.04.12)

東洋高圧工業 (三井東圧化学) 千葉工業所の誕生 
工業都市"茂原"を形成する主要企業について (3)

inserted by FC2 system