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廃線・廃止になった鉄路
工業都市"茂原"と三井東圧化学専用線のすべて (6)
茂原市の商業地区の発展と変遷について (1) 〜 茂原駅南口エリアの発展 〜

前章「茂原市の人口増加のきっかけとなった、日立製作所と三井東圧化学」では、戦後、茂原市の人口増加に伴い、外房線茂原駅から周辺に点在している日立製作所茂原工場 (現在は、ジャパンディスプレイ茂原工場) や三井東圧化学千葉工業所 (現在の三井化学茂原分工場) などの事業所や工場への通勤者数も年々増加していた様子を解説いたしました。

さらに茂原駅から京葉地区への通勤者も増加数したことから、その結果、茂原駅周辺での飲食や買い物の需要が高まっていきました。本章では、かつて茂原駅南口エリアが地域経済をけん引し、茂原市の商圏を広げてきた経緯に焦点を当てます。「駅前商業核」となった大型商業施設である「扇屋ジャスコ茂原店」(現在のイオンスタイル茂原 <予定>) と「茂原そごう」(現在の南総サンヴェルプラザ) の出店経緯、隣接する中心商店街「駅前通り商店街」と「榎町商店街 (旧アーケード一番街の一部)」の歴史について、簡単に解説いたします。

茂原市の人口の推移と商業イベント
(参考:千葉県統計年鑑/千葉県毎月常住人口調査報告書/茂原の昭和史/茂原市における中心商店街活性化への課題)

また、ミニコーナー「茂原市の大型ショッピングセンター、茂原ショッピングプラザアスモ」では、郊外に設立された全国的にも珍しい地元主導型のショッピングセンターである「茂原ショッピングプラザアスモ」の歴史について解説しています。

なお、茂原駅については、後章「貨物駅としての外房線「茂原駅」の歩み」及び、ミニコラム「茂原市郊外に設置された、明治期の茂原駅」、「写真と配線略図で見る茂原駅南口の変遷」で紹介しております。また、茂原駅周辺の各事業所については「工業都市"茂原"を形成する主要企業について (1)」で解説しています。

茂原市中心商業地の発展
茂原駅南口エリアの商店会の変遷と歴史

終戦直前、通町 (茂原市茂原) には大型の百貨店である「岡沢百貨店」(現在の人形のおかざわ) が開店し、戦後には千葉市から「扇屋本店」、「サカモト百貨店」、「田畑百貨店」など、大手資本の支店が次々と進出し、榎町の商店街には「扇屋呉服店」、「坂本呉服店」、「三富茂原店」(田畑百貨店の支店) が開店しました。

本町商店街 (銀座商店街付近にさしかかる)
<AI Colorized> (画像出典:茂原市制施行40周年記念誌)
1952年 (昭和27年) 4月10日の市制記念祝賀行事の一環で行われた、警視庁音楽隊によるパレードの様子

1960年から1970年代 (昭和35年から昭和54年) にかけて、茂原駅南口周辺の商業地区は急速に発展し、多くの大規模な商店が出店しました。総合衣料品店である「鍋屋」、食品百貨店「東幸ストアー」、食品雑貨店「三和ストアー」(サンワストアー)、さらには婦人・学生衣料品店の「サカモトデパート」(元々は、坂本呉服店) などの大手商店が進出し、茂原駅南口周辺は長生地域の商業地区の中心となりました。

田原屋茂原店 (元・東幸ストアー) [田原屋ビル]
(画像出典:もばら中心商店街)
現在、田原屋はヤングボウル (旧サカモト高師店)
隣接地に移転し、パシオスに改名
サカモト茂原東部店 (現在はドン・キホーテ 茂原店)
(画像出典:サカモトHP)
サカモトは、1949年 (昭和24年) 7月に坂本呉服店として
茂原市で開業、その後茂原市内を中心に外房地区で10店舗の
スーパーを出店していました。

賑わいをみせた中心商店街、駅前通り商店街と榎町商店街

1926年 (大正15年/昭和元年)、茂原市で最初の商店街組織である「昌平町商店会」が、現在も六斎市が行われている昌平町で設立されました。そして、戦後の1954年 (昭和29年) には本町で「本町商店会」が設立されました。

1992年 (平成4年) 商店会と大型商業施設 配置図
[パソコンのみ:マウスポインタで画像に触れると表記無し画像に切り替わります] 
(ロゴ・商標等は各社に帰属/藻原寺の画像出典:Wikipedia/OpenStreetMap加筆)

国道128号線 (現在は旧道) が整備されると、その沿道の通町では、1955年 (昭和30年) 頃に「銀座商店会」と「浜町商店会」が、1969年 (昭和44年) には「榎町商店会」、そして1985年 (昭和60年) には「駅前通り商店会」がそれぞれ設立されました。

1972年 (昭和47年) アーケード設置前の榎町商店街
<AI Colorized> (画像出典:茂原市中央の発達史)
アーケード一番街 (榎木町商店会一部)
<AI Colorized> (画像出典:ふるさと茂原のあゆみ)

「アーケード一番街」と茂原の夏の風物詩「茂原七夕まつり」

1972年 (昭和47年) 4月に、昌平町通り (昌平町商店会)、駅前通り (駅前通り商店街の一部)、榎町通り (榎町商店街の一部) が歩行者天国に指定されました。そして、1975年 (昭和50年) に榎町商店街の一部に長さ350m、幅員7mのアーケードが設置され、このエリアは「アーケード一番街」と呼ばれました。さらに、1985年 (昭和60年) 6月にはアーケード下の舗装がカラーパネルに変更され、現在の姿となりました。

1977年 (昭和52年) 頃のアーケード一番街 1992年 (平成4年) 頃のアーケード一番街
(画像出典:茂原市制施行70周年記念誌)
右に見える店舗は、サカモトデパート カラーパネル化した舗装、左奥は「きものの鍋屋」

かつて、駅前通り商店街やアーケード一番街を含む榎町商店街は、2023年 (令和5年) で第69回を迎えた「関東三大七夕まつり」として知られる「茂原七夕まつり」のメイン会場として知られていました。昭和40年代から50年代 (1965年から1984年) 頃にかけて「茂原七夕まつり」は「日本三大七夕まつり」とも称されていました。

1964年 (昭和39年) 頃の「茂原七夕まつり」(榎町通り)
<AI Colorized> (画像出典:ハロータウン)
近年の「茂原七夕まつり」(駅前通り)
(画像出典:ちば県民だより)

特にアーケード一番街では、アーケードの天井からはおびただしい数の七夕飾りが飾られ、中には電動で動く凝った仕掛けの飾りも多数見られました。(茂原七夕まつりについては、ミニコーナー「写真で振り返る「茂原七夕まつり」の歴史や見どころ」で、歴史や期間中のイベントなどについて詳しく紹介しています)

外房エリアでは最大の商圏を誇った、茂原市の商業

榎町商店街 (アーケード一番街) は、隣接する駅前通り商店街と共に茂原市の中心商店街として栄え、最盛期には240店舗以上が軒を連ね、とても賑わっていました。

2001年 (平成13年) 榎町商店街マップ 2001年 (平成13年) 駅前通り商店街マップ
(赤線の部分がアーケード一番街) (出典:もばら中心商店街)

1972年 (昭和47年) 時点で、茂原市内の商店数は1,371店、従業員数は5,355人、年間の販売額は319億9,273万円 (現在の価値で665億9,830万円※1) に達し、茂原市は外房エリアの商圏内で最大の商業地域でした。

名称 会員数
榎町商店会 (南口) 130
 銀座東商店会 (東口)  120
 駅前通り商店会 (南口)  110
銀座商店会 (南口) 78
本町商店会 (南口) 77
 
名称 会員数
浜町商店会 (南口) 70
 千代田町商店会 (南口)  65
昌平町商店会 (南口) 47
旭町商店会 (東口) 45
野巻戸商店会 (南口) 40
 
名称 会員数
 文教通り商店会 (東口)  40
西町商店会 (南口) 28
東町商店会 (東口) 27
高砂商店会 (南口) 13
[会員数 890]
1967年 (昭和42年) 茂原市商店街団体 (商店会) 一覧
(参考:千葉県商店街の現状)
(※1:日銀企業物価指数を基に換算)

駅前商業核の先駆け、茂原ショッピングセンター「扇屋ジャスコ茂原店」
1970年代 (昭和45年から昭和54年) の高度経済成長期に入ると、各地でダイエー、西友ストアー (現在の西友)、イトーヨーカ堂、ジャスコ (現在のイオン)、ニチイ (後にマイカルを経て、現在のイオン)、ユニーなど、大手スーパーマーケットなど大型店舗の爆発的な出店が相次ぎ、地元商店街との紛争や軋轢が各地で生じていました。この状況を受けて、国会は1974年 (昭和49年) に「大規模小売店舗法」(大店法) を施行し、大規模出店に制限を設けました。(現在は廃止)

ダイエー 広告
1973年 (昭和48年)
西友ストアー 広告
1971年 (昭和46年)
イトーヨーカ堂 広告
1973年 (昭和48年)
ジャスコ 広告
1973年 (昭和48年)
1978年 (昭和53年) 既存店数と1979年の出店予定数
(参考:産業と経済)
ニチイ 広告
1973年 (昭和48年)
ユニー 広告
1973年 (昭和48年)

茂原市では、千葉市を拠点として地方型百貨店「扇屋百貨店」や、県内各所でチェーンストア「扇屋チェーン」を展開していた扇屋ジャスコ (株) (以下、ジャスコ) が、1976年 (昭和51年) 3月9日に茂原駅南口近くに「茂原ショッピングセンター」(地上6階・地下1階 / 売り場面積12,000u / サッカーコート約1.7面分※2) の出店計画を表明しました

ジャスコ 広告
1975年 (昭和50年)
1964年 (昭和39年) 扇屋百貨店 広告
千葉県内を中心に百貨店やチェーンストアを展開していた扇屋本店は、
1976年 (昭和51年) に関西でチェーンストアを展開していたジャスコと
合併し、扇屋ジャスコ (株) に商号変更している

ジャスコは茂原商工会議所主催の「茂原市商店街近代化協議会」(以下、近代協) と10回に及ぶ協議を重ね、1977年 (昭和52年) 6月25日に合意書を交わしました。主な合意内容は、売り場面積の縮小 (12,000u → 6,400u / サッカーコート約1.7面分 → サッカーコート約0.9面分※2) であり、さらに900u (サッカーコート約0.2面分※2、後に増床) は地元テナントが占有することとなりました。(茂原市の場合は比較的早く合意に達しましたが、同じ時期に近隣の東金市でも東金ショッピングセンター「サンピア」(Googleマップ) の出店計画があり、地元商店街との交渉が難航していました)

ジャスコは1977年 (昭和52年) 10月、清水建設が建設を担当し、新店舗や立体駐車場の建設を総工費17億8,000万円 (現在の価値で約22億6,000万円※1) で着工しました。そして、24日に近代協とテナント出店に関する打ち合わせを行い、翌1978年 (昭和53年) 4月に竣工し、28日に茂原ショッピングセンター「扇屋ジャスコ茂原店」(後にジャスコ茂原店イオン茂原店を経て、現在のイオンスタイル茂原<予定>)としてオープンしました。

1990年 (平成2年) 扇屋ジャスコ 茂原店
(写真提供:Poppy様)
扇屋ジャスコ 茂原店 概要 (1985年)
(FIFA推奨のサッカーコート105m×68m・7,140uで換算)
(参考:日本スーパーマーケット名鑑/総合食品)

この扇屋ジャスコ茂原店の出店により、茂原市内中心部に人が集まる「駅前商業核」となり、隣接する駅前通り商店街や榎町商店街は駐車場の重要性を認識し、「アーケード一番街」周辺に新しい駐車場が整備されるなど、ジャスコと地元商店街の協業によるシナジー効果が生まれ、茂原駅南口エリアは茂原市の中心商業地として最盛期を迎えました。

(※1:日銀企業物価指数を基に換算/※2:FIFA推奨のサッカーコート105m×68m・7,140uで換算)

昭和から平成へ、茂原駅高架化と茂原そごうの誕生
1987年 (昭和62年) に市内中心部の慢性的な踏切での交通渋滞の解消のため、「国鉄外房線連続立体交差事業」が実行されました。これにより外房線の新茂原駅〜八積駅間が高架化し、茂原駅は地上駅から現在の高架駅となりました。(高架化の経緯や茂原駅の歴史については、後章「貨物駅としての外房線「茂原駅」の歩み」を参照)

1975年 (昭和50年) 頃の茂原駅前南口 現在の茂原駅前南口
<AI Colorized> (画像提供:スピードスター様) (画像出典:Googleマップ)

高架下はJR東日本の子会社で千葉県千葉市中央区にある京葉企画開発 (株) により、総事業費10億円で茂原駅ビルが竣工し、1990年 (平成2年) 7月23日にショッピングモール「アルカード茂原」がオープンしました。

アルカード茂原 (外観) アルカード茂原の全景
(画像出典:Wikipedia) (画像出典:Googleマップ)
改札の正面に出入口があります 茂原駅南口より、左側がアルカード、右側が改札

アルカード茂原 概要 (1991年)
(FIFA推奨のサッカーコート105m×68m・7,140uで換算)
(参考:日経地域情報/証券投資/ショッピングセンター)

外房地区の新商業拠点、茂原そごうと都市再生プロジェクト

昭和50年代 (1975年から1984年) 以降、国内では全国的にモータリゼーションの発達で市街周辺部へ大規模店舗が相次いで立地し、地方中核都市では都市基盤整備が立ち遅れていたこともあり、旧来の市内中心部の商店街などの商業が低迷し始め、都市の魅力が失われつつありました。

そこで、建設省 (現在の国土交通省) は、都市的魅力や活力の減退傾向に歯止めをかけようと、1985年 (昭和60年) に人口が概ね25万人以下の地方都市を対象とした、建設省所管事業を優先的に配分させる「地方都市中心市街地活性化計画」(シェイプ・アップ・マイタウン計画) を実施し、3年間で26市がモデル計画都市に認定され、茂原市は1986年 (昭和61年) に認定されました。

1990年 (平成2年) 茂原市 中心市街地活性化計画 構想図
(参考:月刊建築・都市計画協会・新都市開発/ロゴ・商標等は各社に帰属/OpenStreetMap加筆)
駅前商店核 (そごう・ジャスコ) / ふれあいとオリジナルティの街 (銀座東商店会、現在のサンシティ町保商店会) /
ハイセンスなファッションの街 (駅前通り商店会) / ファミリーで楽しめる街 (榎町商店会) /
人情と歴史の街 (昌平町商店会) / 公共交易施設核 (茂原市役所・長生合同庁舎・茂原市中央公民館)

茂原市は、以前から市内中心部の交通渋滞問題に取り組んでおり、そのために1978年 (昭和53年) 3月から国鉄茂原駅から市役所まで伸びる中心商業地を含む約90ヘクタール (東京ドーム約12個分※3) のエリアに関する調査や地権者との交渉を行っていました。国からのモデル計画都市指定が弾みとなり、「茂原市中心市街地活性化計画」の一環として1987年 (昭和62年) 11月に新たな集客力を持つ拠点として「駅前再開発ビルの建設」や「駅前広場の整備」など、「茂原駅南口地区第一種市街地再開発事業」の総事業費約108億円 (現在の価値で約127億万円※1) が決定し、1988年 (昭和63年) 8月に県から計画許可がおり、工事が着手されました。(茂原市内の渋滞問題については、ミニコーナー「茂原駅が高架駅となった経緯と駅前再開発」で解説)

1990年 (平成2年) 広告 <AI Colorized>
駅前再開発ビル「サンヴェル」立面図
(出典:新都市開発)

駅前再開発ビルの名称は、一般公募により「サンヴェル」(SUN VERT) と決定されました。この名前は、英語の「太陽」(Sun) とフランス語の「緑」(Vert) を組み合わせた造語で、「太陽のように輝き、緑豊かなまち」という意味が込められています。サンヴェルの建設場所は、茂原駅南口付近にある南総通運 (株) 茂原支店や関連会社の南総タクシー (株) 茂原営業所などがあるエリアとなりました。(南総通運については、ミニコーナー「三井東圧化学専用線での通運を担った、南総通運株式会社」で解説)

茂原駅南口
<AI Colorized> (写真提供:スピードスター様)
左上に見える塔は、茂原消防署の火の見櫓(望楼)、
左から「茂原商店街」アーチ型看板、モンテヤマザキ茂原店、南総タクシー茂原営業所、南総通運茂原支店

しかし、サンヴェルのキーテナントには、1987年 (昭和62年) 2月に内定していたはずの大手チェーンストアが、1989年 (平成元年) 4月に突然出店を辞退するという予測していなかった事態が発生し、新たなキーテナントの選定や計画の抜本的な見直しが必要となりました。多くの関係者の熱意と努力により、既に千葉県内に出店していた都市型百貨店「そごう」が、短期間で新たなキーテナントとして決定しました。

千葉そごう (1967年開店) 柏そごう (1973年開店) 木更津そごう (1978年開店)
(画像出典:そごう小史)

当時の (株) そごうは、「市中心部の消費を確保して高める」という「地域一番主義念」という出店方針が「茂原市中心市街地活性化計画」のコンセプトに一致していたと思われます。そごうは、資本金1億円で「(株) 茂原そごう」を設立しました。(そごうグループについては、ミニコーナー「茂原そごう出店の誤算とそごうグループの栄枯盛衰」を参照)

ただし、ビル内部のレイアウト変更などが必要で、建設省 (現在の国土交通省) との調整や県へ再度計画の再申請が必要となり、工事の着工が1年遅れることとなりました。1989年 (平成元年) 12月に起工式が行われ、茂原が豊富な天然ガスの産出地であることから、建設現場で突発的に天然ガスが発生するなど、追加の工事が必要となる事態も発生しました。

茂原駅1番線ホームから見た、建設中の「サンヴェル」
<AI Colorized> (画像出典:ショッピングセンター)

1992年 (平成4年) 2月に駅前再開発ビル「サンヴェル」が無事竣工し、3月に竣工式が行われました。これに合わせて南口駅前広場 (5,800u) と東口駅前広場 (3,200u) も整備され、7月に現在のバスバースとタクシープールが完成しました。(天然ガスについては、前章「"天然ガス"がもたらした茂原市の工業都市化」を参照)

1992年 (平成4年) 3月5日に「茂原そごう」が開店し、初年度の売上額は140億5,800万円となり、その結果、茂原そごうの出店は商圏を広げた一因となりました。そごうグループの千葉県内での出店は、1967年 (昭和42年) の「千葉そごう」(千葉市)、1973年 (昭和48年) の「柏そごう」(柏市)、1978年 (昭和53年) の「木更津そごう (旧称は、サカモト百貨店)」(木更津市)、1981年 (昭和56年) の「船橋そごう」(船橋市) に続く、5店目となりました。

1993年 (平成5年) 茂原そごう <茂原駅南口方>
<AI Colorized> (画像出典:市政)
茂原駅前南口再開発ビル「サンヴェル」概要 (1992年)
(FIFA推奨のサッカーコート105m×68m・7,140uで換算)
(参考:市街地再開発/再開発コーディネーター)

同年5月には、地上6階7層で連続傾床型自走式の駐車台数257台を備える「茂原駅南口公共駐車場」が完成し、現在の茂原駅南口前の姿となりました。

1975年 (昭和50年) 茂原駅南口方 2012年 (平成24年) 茂原駅南口方
@イオン茂原店 Aサンヴェル B茂原駅南口公共駐車場 C山之内病院 D茂原駅前郵便局
[パソコンのみ:マウスポインタで1975年画像に触れると2012年画像 (表記無し) に切り替わります]
国土地理院「茂原」(昭50/H24) 加筆
(※1:日銀企業物価指数を基に換算/※2:FIFA推奨のサッカーコート105m×68m・7,140uで換算/
※3:東京ドーム47,000uで換算)


次節「茂原市の商業地区の発展と変遷について (2)」では、茂原市の商業地の現状と課題に焦点を当てます。茂原そごう閉店後の状況や、後継として予定されているイオンスタイル茂原の建設遅延、茂原駅前通り再開発計画の進展状況と課題などについて解説いたします。

さらに、ミニコーナー「茂原そごう出店の誤算とそごうグループの栄枯盛衰」として、そごうグループの興亡を踏まえ、茂原そごう閉店後に約1兆8,700億円の負債を抱えた超大型倒産に至る経緯を簡潔に紹介いたします。

(公開日:2024.01.21/更新日:2024.04.24)

茂原市の商業地区の発展と変遷について (2)
茂原市の人口増加のきっかけとなった、日立製作所と三井東圧化学 

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