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旧房総東線・外房線 |
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蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
B10形蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1894年(M27)に英国ベイヤー・ピーコック社が製造したテンダー 機関車(5500形)を鉄道省(国鉄)が輸入し、1930年(S5)にロー カル線などの短距離運転用のタンク式に10両を改造し、B10形と 名乗りました。 房総では、1952年(S27)当時、各機関区に配置され、勝浦機関 区に2両が配置されていました。 【参考写真】 小湊鉄道五井駅構内に静態保存されている「小湊鉄道B10-4号 機」(元鉄道省5507号機)です。 現在は千葉県有形文化財に指定されています。この機関車は、 1936年(S11)に鉄道省(国鉄)が陸軍に譲渡、終戦後千葉機関区 に保管されていたものを1946年(S21)に小湊鉄道が借入し、 1949年(S24)に正式譲渡されました。その後、1951年(S26)頃 に廃車になりました。 なお、オリジナル5500形は、青梅鉄道公園に保存されています。 [上:1971年(S46)/下:1982年(S57)/小湊鉄道 五井駅構内] (汽車・電車1971〜様の許可を得て転載) ←上下の写真はクリックすると、拡大表示されます。 |
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8850形蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(珊瑚模型製 1/80) |
・1911年(M44)にドイツか輸入された8850形蒸気機関車(ボルジッ ヒ社製)です。この機関車を元に国産蒸気機関車が開発されました。 房総では、1936年(S11)頃、千葉区、安房北条(館山)区と 勝浦区に10両が配置されていました。 【参考写真】 (鉄道模型と工作様の許可を得て転載) |
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8620形蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・前出の8850形を元に初の国産機関車として1914年(T3)に誕生 した大正生まれの旅客用蒸気機関車です。 ファンからは、 「ハチロク」の愛称でファンから親しまれました。 写真は、東金線を走る房総東線行きの貨物列車です。 大網-土気の勾配は、長い貨物列車では登れず、総武本線、東金線 を経由する迂回ルートがとられていました。 [1962年(S37)/東金-求名間] (白土貞夫氏の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・通常、房総東線の直通貨物は迂回ルートをとりますが、8620形に 牽引されて急こう配に挑んだのは、この区間運転列車だけでした。 大網-土気間は、1km進むと25m高くなる傾斜だったため、県内 最大の峠の難所でした。 [1954年(S29)2月24日/土気付近] (青木栄一氏の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、かつて佐倉機関区に在籍した58680(580号機)です。 晩年は、福井区で過ごし、1971年(S46)7月に廃車となりました。 その後、静態保存機として千葉に帰ってきました。 現在は、茂原市の萩原交通公園で展示されています。時々、国鉄の OBの方達が手入れをしているそうで、綺麗に保存されています。 ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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C51形蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1920年(T9)に登場した、本格的な高速、急行旅客用の蒸気機関 車です。東海道本線で超等級特急「燕(つばめ)」を牽き、脚光を 浴びました。旅客用機関車の原点となった名機です。 房総では、千葉機関区に12両、勝浦機関区に3、4両配置されま したが、自重が重く、線路の傷みがひどく直ぐに小山区辺りに転出 されてしまいました。 【参考写真】 青梅鉄道公園に静態保存されているC51-5号機です。 (くろがねのみち様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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C11形蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・明治時代の古典機関車などを整理するために、国産タンク機関車と して、C10形が試作機的誕生、C10形の欠点を補った近代的機関 車として、1932年(S7)にC11形が誕生しました。 自重が軽く、全国のローカル線の列車牽引に活躍しました。また、 その使い易さゆえ、貨物列車用や入れ替え用として蒸気機関車 末期まで働きました。 房総では、1936年(S11)頃、千葉機関区、勝浦機関区には 11両配置されていました。 同型は現在、JR北海道、真岡鉄道、大井川鉄道で動態保存 されています。 【参考写真】 上:函館本線「SLニセコ号(C11-207号機)」です。 (民間航空機と鉄道写真のページ様の許可を得て転載) 下:C11-325号機です。 [1998年(H10)11月/真岡鉄道 茂木駅] (くろがねのみち様の許可を得て転載) ←上下の写真はクリックすると、拡大表示されます。 |
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C58形蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1938年(S13)に登場した貨客兼用中型蒸気機関車です。 旅客の「C57」、貨物の「D51」を一回り小さくしたような万能機。 貨客兼用、平坦/こう配両線区で使用を前提に設計されていた為、 その使い勝手の良さから、全国各地で活躍しました。 房総では、新小岩機関区、佐倉機関区に多く配置されました。 上の写真は、千葉のC58-297号機です。 [1969年(S44)/佐倉機関区] (鉄道模型と工作様の許可を得て転載) 下の写真は、新小岩発下りの貨物列車を牽く、C58-261号機 です。 [蘇我駅北] (イヴロ〜ニュさんご提供) ←上下の写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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【参考写真】 写真は、現在も運行している秩父鉄道の「パレオエキスプレス号」 (C58-363号機)です。 (民間航空機と鉄道写真のページ様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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C57形蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1937年(S12)に中型旅客用機関車の最後の形式と誕生した 蒸気機関車です。当時スタイルの良さからマスコミから「貴婦人」 という愛称で呼ばれました。 房総各線でも、たくさんの客車列車の牽引を担当しました。 写真は、佐倉機関区のC57-71号機です。 (イヴロ〜ニュさんご提供) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、茂原駅-八積駅間を走る下り列車。 蒸気機関車は、C57-44号機です。 出典:「写真集・明治・大正・昭和 茂原 ふるさとの想い出」 出版社、撮影者の許可を得て転載 ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、蒸気機関車牽引、上り最後の日の客車列車です。 担当はC57-71号機でした。 [1953年(S28)/茂原駅] 出典:「写真集・明治・大正・昭和 ちょうせい ふるさとの想い出」 出版社、撮影者の許可を得て転載 ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・朝の通勤客を乗せて、土気のトンネルを目指し、県内最大の急勾配 をばく進するC57。 [1968年(S43)/大網-土気間 上り列車] (白土貞夫氏の許可を得て転載) 度々、上りきれず大網に引き返し、勢いをつけて上ったことも あった。 (緑川模型店店主:談) 繁忙期の年末は、担ぎ屋さんと言われる多くの荷物を持った人が 多くなり、重量が重くなるため、C57の先頭にC58の補機を付けて 重連で急勾配を上がっていった。 (イヴロ〜ニュさん:談) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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【参考写真】 ・現在、JR西日本の山口線で「SLやまぐち号」としても活躍中の C57-1号機も以前は千葉鉄道管理局に所属していた時期が ありました。 主に総武本線の客車列車の牽引を担当しました。 [日向-成東間?] (イヴロ〜ニュさんご提供) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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【参考写真】 ・写真は、JR東日本で動態保存されている磐越西線を走る 「SLばんえつ物語号(C57-180号機)」です。 (民間航空機と鉄道写真のページ様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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D51形蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1936年(S11)に誕生した貨物牽引用の蒸気機関車です。 多くの人に蒸気機関車の代名詞である「デゴイチ」の愛称で知ら れる最もポピュラーな機関車です。 写真は、D51-21号機 [1969年(S44)/佐倉機関区] (鉄道模型と工作様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・D51は、国産蒸気機関車最多の1形式、1115両という最多な 製造数を誇り、全国各地の貨物列車の牽引を担当しました。 写真は、D51-21号機牽引の蘇我発、新小岩行の貨物列車・ 蒸気最終運転の模様です。 (イヴロ〜ニュさんご提供) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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写真は、工業製品で満載の貨車を牽き、取付け高架へ向かう 10パーミル勾配を登るD51。 [1969年(S44)/本千葉-千葉間] (イヴロ〜ニュさんご提供) |
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【参考写真】 ・写真は、JR東日本で動態保存されている上越線を走る 「SL奥利根号(D51-498号機)」です。 (民間航空機と鉄道写真のページ様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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ディーゼル機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
DD13形ディーゼル機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1958年(S33)に、入換え/支線区運転用として登場したディーゼル 機関車です。 汎用機として蘇我をはじめ全国で活躍、その後ヤードの減少などで 全廃。国鉄から、JRには1両も継承されませんでした。 しかし、使い勝手の良さから国鉄から譲渡されたり、自社発注などで 京葉臨海鉄道を始め、DD13タイプは全国の臨海鉄道などで今でも 活躍し続けています。 写真は、ヘッドライトが1灯の1次型です。2次型以降より、シールド ビームの2灯となり、マイナーチェンジが繰り返され、17次型まで 作られました。 [1968年(S43)春頃/蘇我駅北方] (イヴロ〜ニュさんご提供) |
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・写真は、木更津からの気動車を回送中のDD13です。 [1969年(S44)/千葉-旧千葉機動区間] (イヴロ〜ニュさんご提供) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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DD51形ディーゼル機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1962年(S37)、近代化/無煙化を進めるために登場した、本線用 高性能ディーゼル機関車です。 房総でも客車急行「そと房」、快速「わかしお」、貨物列車を牽引。 現在、客車列車/貨物列車の縮小などで両数を減らしており、 貴重な存在になりつつあります。 写真は、今は無き新茂原貨物駅に向かう佐倉機関区所属機、 DD51-1804号機です。 (RED LOCOさんご提供) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・ 旧新茂原貨物駅では、DE10形ディーゼル機関車の点検検査 時期は、このDD51形ディーゼル機関車が代打として活躍しました。 この写真は、佐倉機関区廃止後、千葉機関区新小岩派出へ転籍 したDD51-1802号機です。 しかし、2001年10月(H13)を持って千葉のDLは撤退しました。 [2000年(H12)12月/蘇我駅] ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、本千葉駅-千葉駅間です。 (イヴロ〜ニュさんご提供) もっと詳しくDD51について知りたい方は、「RED LOCO」さんの サイトをご覧下さい。 |
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DE10形ディーゼル機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1966年(S41)にDD13の後継機として登場し、万能機関車です。 全盛期800両を数える大所帯でしたが、JR化後客車列車の気動車 化、貨物減少にヤードの廃止、セメント輸送など専用貨物のトラック 輸送で減少、その数は’05年現在まで120両を切るところまで減少 しています。 旧新茂原貨物駅で貨物の入れ替え、牽引を担当しました。 写真は、今は無き佐倉機関区の1098号機です。 (RED LOCOさんご提供) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、千葉発大網経由成東行・臨時快速です。 1969年(S44)の夏ダイヤで毎日2往復設定されていましたが、 区間が短かったせいかほとんど知られていないようです。 DE10牽引で、青色オハ35系(スハ43系あたりも混じっていたかも しれませんが)4両の編成というのは珍しかったです。 客車は品川客車区からの借り入れでしょう。 [1969年(S44)/本千葉-千葉間] (コメント&写真/イヴロ〜ニュさんご提供) |
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・東金線直通の快速列車です。 [1973年(S48)7月/大網-土気間] (スピードスターさんご提供) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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電気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
EF15形電気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1947年(S22)に登場した貨物用電気機関車です。 鶴見機関区所属のEF15も新小岩-蘇我・佐倉間で一部の貨物列車 の先頭に立ちました。 (イヴロ〜ニュさん談) 【参考写真】 写真は、現在「碓氷峠鉄道文化むら」で静態保存されている EF15です。 (白子町・緑川模型店所蔵) |
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EF80形電気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1972年(S37)に登場した、初の量産交直電気機関車として登場 しました。主に常磐線で「ゆうずる」のヘッドマックを掲げ、20系 ブルートレインの牽引などを担当しました。 房総では、田端機関区のEF80は、新小岩-蘇我・佐倉間で一部の 貨物列車の先頭に立ちました。 「交流区間のない千葉であのローズレッドのEF80を初めて見た時には、びっくり したものです。運用間合にDD51の助太刀にやってきたのでした。」 [本千葉-千葉間] (コメント&写真/イヴロ〜ニュさんご提供) ←上の写真をクリックすると、拡大表示されます。 【参考写真】 写真(下)は現在、「碓氷峠鉄道文化むら」で静態保存されている 2次型の63号機です。 (白子町・緑川模型店所蔵) |
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EF81形300番台電気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1968年(S48)にEF80形の発展型として登場した、交直電気機関 車です。 この300番台は、関門トンネル用に作られました。トンネル内に滴る 海水による腐食を防止するためにステンレス車体となっていました。 当初は無塗装でしたが、常磐線に貸し出された際、ローズピンク 塗色になりました。現在は、元の門司機関区に戻り、現在もその ままの塗色で活躍しています。 [新小岩-蘇我間 幕張付近] (遥かなる追憶の鉄路様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 【参考写真】 現在、門司機関区には4両所属しています。ローズピンクと無塗装 が2両づつあり、重連で運用されています。 (1/150 Nゲージ TOMIX製) |
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気動車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キハ41000系 (キハ04/05/06) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1933年(S8)に鉄道省(国鉄)が、量産できる機械式の軽量ガソリン 動車を開発し、後にキハ04〜06に改番されました。 写真は、1949年(S24)5月に国鉄新小岩工場で改造された キハ41200形。通称”ガスカー”です。 [1952年(S27)/旧大網駅] (中川浩一氏の許可を得て転載) このガスカーの誕生秘話は、下記をご覧下さい。 「廃線になった鉄路1/関東天然瓦斯開発(株)専用線」 |
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【参考写真】 ・写真は、小湊鉄道キハ41002(元国鉄キハ41000形)です。 国鉄から小湊鉄道に譲渡されものです。 主な違いは、塗色、前照灯と側面の小湊鉄道のマーク(KTK) となります。 [1972年(S47)/小湊鉄道 五井駅構内] (イヴロ〜ニュさんご提供) |
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キハ42000系 (キハ07) |
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・1935年(S10)に誕生した国鉄の流線形ガソリン動車です。 写真は、茂原駅-新茂原駅間にある阿久側の鉄橋を渡る533号機 です。なお、連結されているのは、キハ17系の初の2等車である キロハ470000(キロハ18)2両だと思われます。 [1950年(S25)頃/茂原-新茂原間] 出典:「写真集・明治・大正・昭和 茂原 ふるさとの想い出」 撮影者の許可を得て転載 【参考写真】 1/150 Nゲージ 津川洋行製 |
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キハ17系 (キハ45000系) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1953年(S28)に登場した一般用気動車です。 写真は、旧千葉駅0番線に停車中の房総東線普通列車、キハ17形 (片運転台)を先頭にした6両編成です。 [1957年(S32)/旧千葉駅] (青木栄一氏の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、新製されたばかりのキハ17系(45000系)の3両編成、 招待客を乗せた試運転列車です。 [1954(S29)年1月/旧千葉駅] (青木栄一氏の許可を得て転載) また、1963年(S38)には、夏季臨時準急列車「黒潮」などにも 使われた写真も残っていました。 ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、旧大網駅停車中のキハ17系です。 左が下り普通列車、右は上り臨時快速「花園」号です。 [1955(S30)年2月/旧大網駅] (中川浩一氏の許可を得て転載) また、1963年(S38)には、夏季臨時準急列車「黒潮」などにも 使われた写真も残っていました。 ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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【参考写真】 ・通勤・通学列車等の各駅停車として活躍しました。 一部夏の臨時列車にも使用。 写真は、現在も走る茨城交通のキハ11形(両運転台)です。 塗色は、1両目(国鉄標準色)、2両目(国鉄旧標準色)です。 (民間航空機と鉄道写真のページ様の許可を得て転載) |
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キハ55系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1956年(S31)に登場した準急用途の2エンジン気動車として開発 された強力大型ディーゼルカーです。 房総は、平坦地が多いため、キハ26形(1エンジン)が配置され ました。1958年(S33)には、キハ26が準急「第1・2房総」などと しても使われた写真も残っていました。 写真は、キハ26形を先頭にした急行「そと房」号です。 [1972年(S47)7月/蘇我-鎌取間] (625鉄道趣味工房様の許可を得て転載) |
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写真は、現茂原第一教習所付近を通過する、急行「そと房」。 [1972年(S47)7月] (スピードスターさんご提供) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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キハ20系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1957年(S32)にキハ55系の成功をうけ、一般用気動車の大型化 や設備改善が行われました。 他にも準急「外房(がいぼう)」、「京葉」などとしても活躍しました。 写真は、キハ25形(片運転台)による準急「第3房総」号です。 塗色は、1両目-3両目(国鉄旧標準色)、4両目(国鉄標準色)。 [1960年(S35)/大原駅] (はーさんの思い出の鉄道画像様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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【参考写真】 写真は、茨城交通のキハ20形(両運転台)です。 (民間航空機と鉄道写真のページ様の許可を得て転載) |
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キハ35系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1961年(S36)年に登場した、都市周辺部の非電化区間での混雑 緩和のため増備された通勤用気動車です。 写真は、1963年に海沿いを走る房総各線の塩害による車輌の 腐食を防ぐために登場したオールステンレス製のキハ35形900 番代です。 車体は未塗装、運転室窓下にオレンジ色の警戒色が塗られて いました。 [1972年(S47)7月/蘇我-鎌取間] (625鉄道趣味工房様の許可を得て転載) |
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キハ58系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1961年(S36)に登場した快適性を考慮した急行/準急用気動車 です。日本の急行用気動車の標準となりました。 写真は、夏季臨時準急「清澄」号(キハ58形の3両編成)です。 [1961年(S36)7月/千葉駅] (白土貞夫氏の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・急行「外房1・4号、そとうみ、そと房」などとして活躍しました。 写真は、急行「そと房」です。房総はほとんどが平坦地が多いため、 1エンジンのキハ28形の編成が多かったようです。 [1969年(S44)/本千葉-千葉間] (イヴロ〜ニュさんご提供) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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【参考写真】 ・写真は、磐越西線で、運転された「磐西・只見ぐるり一周号」の キハ58形です。 (民間航空機と鉄道写真のページ様の許可を得て転載) |
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キハ45系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1966年(S41)にキハ20系の後継として登場した近郊型気動車。 今でいうと113系近郊形電車の気動車版と言ったところ。 千葉駅6番線(房総東線発着)で発車待ちのキハ45形他の気動車 列車です。ホームの柱には新登場の房総特急183系をデザイン した電化完成のポップが取り付けられています。手前は万葉軒の 駅弁売店でまだ立ち売りもあったため立ち売り用のカゴも見えます。 [1972年(S47)7月/千葉駅] (コメント&写真/625鉄道趣味工房様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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電車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
72・73系電車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1943年(S18)に登場、それまでの戦時設計の車両を改造し、戦後 に設計した車両と一緒にして運用されました。 戦後の混乱期から復興期に山手線を始め、通勤電車として活躍。 房総の電化に対し、113系電車の増備完了まで活躍しました。 茶色の塗色から、「ゴキブリ電車」と揶揄されたそうです。 上の写真は、千葉駅にて。 [1973年(S48)11月/千葉駅] (イヴロ〜ニュさんご提供) 下の写真は、特急通過待ち、本納駅にて。 (スピードスターさんご提供) ←下の写真をクリックすると、拡大表示されます。 全面のガラスに提示される行き先表示板 (大多喜町・房総中央鉄道館所蔵品) |
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113系1000/1500番台近郊形電車 |
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・1963年(S38)に登場した近郊型電車です。 1969年(S43)に総武・横須賀線快速線として、東京地下ホームに 乗り入れるために車両設計を難燃構造(1000番台)にしました。 グリーン車は、1962年(S37)の新造車(サロ111形/定員64名)、 153系急行列車用のグリーン車を改造車(サロ113形/定員60名) が、計2両連結されていました。 その後、1973年(S48)新造車(サロ113形1000番台/定員 48名)、サービス向上のため、定員数を増やした新造車(サロ110 形1200番台/定員60名)も登場しました。 国鉄末期、グリーン車の老朽化が目立ち始めていましたが、予算 不足のため余剰となっていた特急列車用のグリーン車を改造し、 サービス維持に努めました。 1983年(S58)登場、485系特急用グリーン車改造 (サロ110形1350番代/定員48名) 1987年(S62)登場、183系特急用グリーン車改造 (サロ110形1300番代/定員48名) 晩年、1990年(H2)には2階建てグリーン車(サロ125形)が 登場しました。1999年(H11)12月4日のダイヤ改正で、新型の E217系電車に全て置き換わる事になり、113系電車での快速 運用は消滅しました。 1枚目の写真は、登場時の非冷房、丸目ライトです。 [茂原駅上り] (スピードスターさんご提供) (写真をクリックすると、拡大表示されます) 2枚目の写真は、1999年(H11)11月23日に津田沼駅で 行われたイベント列車「さようなら快速113系電車」号です。 ヘッドマークは、国鉄・千葉鉄道管理局時代からのキャラクターが 使われています。 (白子町・緑川模型店所蔵) 2枚目の写真は、イベント列車に合わせて、グリーン車(サロ110 形1200番台)には、グリーン車を示す側面の等級帯が復活しま した。 (白子町・緑川模型店所蔵) (写真をクリックすると、拡大表示されます) 3枚目の写真は、183系特急用グリーン車改造(サロ110形1300 番代) (1/150 Nゲージ マイクロエース製) 4枚目の写真は、2階建てグリーン車(サロ125形) (1/150 Nゲージ TOMIX製) 3枚目の写真は、夏季臨時快速として外房線は「白い砂」号、内房 線は、「青い海」号としてヘッドマークを掲げて活躍しました。 写真のヘッドマークは、保管されている実物のものです。 (大多喜町・房総中央鉄道館所蔵品) |
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↓各写真をクリックすると、拡大表示されます。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1973年(S48)「白い砂」(外房線) 臨時急行「なぎさ」(サロ113が、初めて組込) 夏季臨時快速「青い海」(内房線) (全ての写真は、スピードスターさんご提供) |
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153系急行形電車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1958年(S33)に登場した準急形電車(のち急行形電車)です。 外房線では、急行「外房」号として活躍しました。 マイナーチェンジ当時は、運転席が高い方が障害物の発見が 早く、踏切事故の防止に効果があると考えられ高運転台の タイプもありました。 写真(上)は、低運転台タイプ [千葉駅] 写真(中)は、2番線に進入する高運転台タイプ [茂原駅] (スピードスターさんご提供) (写真をクリックすると、拡大表示されます) 写真(下)は、高運転台タイプ [蘇我駅] 急行「外房」ヘッドマークは、保管されている実物のものです。 (大多喜町・房総中央鉄道館所蔵品) |
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165系急行形電車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1963年(S38)に登場、全国の主な直流電化区間で見られた 急行型電車です。 外房線では、急行「みさき」「そと房」「外房」の愛称で活躍しました。 写真(上)は、急行「外房」号です。 [千葉駅] 写真(下)は、安房鴨川駅 [1975年(S50)8月] (思いで鉄道探検団さん様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 電車の側面に掲げられた行き先表示板(左) 行き先表示板は、保管されている実物のものです(右) 海洋紀行様の許可を得て転載) (大多喜町・房総中央鉄道館所蔵品) |
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各写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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急行「みさき」号(上総一ノ宮駅) 急行「みさき4号」(錦糸町or両国駅) 茂原駅停車中の急行「外房」号 [1972年(S47)8月] [1972年(S47)8月] [一宮方から撮影] (思いで鉄道探検団さん様の許可を得て転載) (汽車・電車1971〜様の許可を得て転載) (スピードスター様より、提供) |
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183系0番台特急形電車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1972年の東京地下駅開業と同時に外房線に登場した初の記念 すべき特急形電車です。初代特急 「わかしお」号として30年に渡り 活躍しました。 [1975年(S50)現武道館辺りからの上り列車] (スピードスターさんご提供) (手前のレールは東圧専用線) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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↓各写真共をクリックすると、拡大表示されます。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現茂原第一教習所付近を通過中 [1977年(S52)8月/勝浦駅] わかしお4号[1972年(S47)8月] (スピードスターさんご提供) (白土貞夫氏の許可を得て転載) (汽車・電車1971〜様の許可を得て転載) |
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・写真は、ヘッドマークが「文字」から「絵入り」に変わった時のもの です。この頃、茂原駅も地上駅でした。 [1985年(S60)頃/茂原駅] 絵入りヘッドマーク 行き先表示幕 ・先頭車の貫通扉は、東京地下駅に乗り入れるため、災害時脱出用 に設けられました。 普段は開きませんが、グリーン車を連結しない 6両編成(モノクラス編成)の運用時、繁忙期にはこの貫通扉を開い て3両増結し、9両編成ということもありました。 写真は、わかしお12号(9両編成)です。 [1987年(S62)8月/安房鴨川駅] (横丁の名探偵様の許可を得て転載) |
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・写真は晩年、ヘッドマークが「絵入り」から「LED」に変わりました。 [2000年(H12)12月/蘇我駅] LEDヘッドマーク ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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183系1500番台特急形電車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・信州方面で余剰となった車両が外房線でも使われるように なりました。 [2000年(H12)12月/大網駅] ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、夏の臨時特急「ビーチインBOSOわかしお」号です。 [1995年(H7)1月/東京-安房鴨川間] (extra-t様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・1991年(H3)3月16日に「おはようわかしお」号が誕生しま した。始発駅は上総一ノ宮駅をとし、京葉線経由で終点、東京駅 までを結びました。 しかし、2004年(H16)10月15日を最後に特急電車が183系から E257系に替わるとと同時に「ホームタウンわかしお」の名称は 消滅してしまいました。 [永田駅] (ワイズマンの部屋〜900番台〜様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・1991年(H3)3月16日に「ホームタウンわかしお」号が誕生しま した。始発駅は東京駅をとし、京葉線経由で終点、上総一ノ宮駅 までを結びました。 しかし、2004年(H16)10月15日を最後に特急電車が183系から E257系に替わるとと同時に「ホームタウンわかしお」の名称は、 消滅してしまいました。 [2003年(H16)/東京地下ホーム] (やる時はやりまっせ!様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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ジョイフルトレイン「なのはな」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1986年3月に165系をベースにした電車初のジョイフルトレイン 「なのはな」が登場しました。 6両編成の各車両は、和室に改造され、「すみれ」「あやめ」などの 愛称がありました。塗色は、千葉県の県花である「なのはな」と 房総半島がイメージされた。 1993年(H5年)頃、ライトのシールドビーム化と前面補強が施工 されました(写真:下) その後、1988年(平成10年)に後進の485系改造の「ニューなの はな」と交代し、引退しました。 写真(上)は、安房鴨川駅、停車中。 [1987年(S62)8月] (横丁の名探偵様の許可を得て転載) 写真(中)は、松戸-佐原間 [1992年(H4)12月] (extra-t様の許可を得て転載) 写真(下)は、 成田-求名間 [1996年(H8)1月] (extra-t様の許可を得て転載) ←上・中・下の写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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客車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ナハ22000系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1920年(T9)に木造客車の最終型である「ナハ22000系」が、 誕生しました。 全国的に配置され、房総でも蒸気機関車が牽引をしていました。 しかし、1947年(S22)に八高線列車脱線転覆事故という木造の 客車ゆえに破壊・粉砕という大惨事になりました。 この事故を教訓に国鉄は、木造客車の台枠と台車を利用し、車体を 鋼製車体に載せかえる「鋼体化改造」を1949年(S24)から1956 年(S31)の間に全ての木造車を改造しました。 写真は、上から「ナロフ21200」、「ナロハ21450」、「ナハ22000 初期型」です。 実写の写真の入手が困難だったため、「ムサシノモデル」さんの16番ゲージの模型 完成写真を許可を取り、引用しました。 ←上・中・下の写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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オハ61系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・戦後、国鉄は防災上の見地から木製客車(ナハ22000形)の鋼体化 改造工事を開始しました。オハ61系は、1951年(S26)に登場しま した。主にローカル列車に使用されました。 (優等列車は、オハ35系・スハ43系等) 主に全国のローカル輸送に活躍したオハ61系ですが、1987年 (S62)までに全車廃車なってしまいました。 [1973年(S48)9月/佐倉客貨車区] (625鉄道趣味工房様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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スハ43系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1951年(S26)に登場した戦後を代表する標準型客車です。 急行 列車用として製作され、2列の車内灯、ヘッドレストがついた座席 など大幅に快適性が上がりました。全国各地で活躍した客車です。 塗色は、ぶどう色2号、青15号の両方が混在していました。 [1973年(S48)9月/佐倉客貨車区] (625鉄道趣味工房様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・この写真は、スハ43の緩急車(車掌室付)タイプです。 [1972年(S47)5月/佐倉客貨車区] (625鉄道趣味工房様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・スハ43形の台車を交換した(TR47形→TR23形)客車です。 自重が軽くなったため、オハ47形と名乗りました。 [1972年(S47)5月/佐倉客貨車区] (625鉄道趣味工房様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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オハ35系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1939年(S14)、一般座席車として登場しました。 照明は白熱灯、座席も「直角イス」でした。塗色は基本的には ぶどう色2号ですが、近代化改装工事(照明の蛍光灯化・扇風 機取付・室内色変更など)を受けた車輌は青15号です。 現在でも、JR北海道・旭川運転所、JR西日本・宮原客車区、 津軽鉄道・大井川鉄道で数輌がイベントなどで活躍しています。 [1972年(S47)5月/佐倉客貨車区] (625鉄道趣味工房様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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荷物・郵便輸送車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キユニ19形 (気動車) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・キハ19形(運転台無)を改造したキユニ19形(房総のみ4両配置) が、先頭に立ち、キハ17系、キハ35系が連結され、まさに気動車 王国「千葉」と言った感じです。 [1972年(S47)7月/蘇我-鎌取間] (625鉄道趣味工房様の許可を得て転載) |
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・荷物・郵便輸送車は、両国駅が始発で新聞などを積み込みます。 そして千葉まで自走し、分離され房総東線、房総西線の列車の 最後尾に連結され駅毎に新聞を下ろしていきます。 [両国駅] (汽車・電車1971〜様の許可を得て転載) |
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クモハユ74形 (電車) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1969年(S44)に房総線電化の際、房総線用として旧型電車 (モハ72形)3両を荷物・郵便輸送車へ改造されました。 写真は、両国へ向かうクモハユ 1両(先頭)+クモユニ 3両です。 [1976年(S51)1月/小岩駅] (汽車・電車1971〜様の許可を得て転載) |
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・車内は、アコーディオンカーテンで仕切ることにより、普通客室を 荷物室等として区切ることが出来ました。 実際は、房総各線への新聞輸送(夕刊)に使用され、普通客室 としは使われることがなかったようです(?)。その後、1980年 (S55)7月に廃車になりました。 【参考写真】 急行との交換待ちです。 [1972年(S47)1月/房総西線 大貫駅] (汽車・電車1971〜様の許可を得て転載) |
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クモユニ74形 (電車) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1962年(S37)に東海道線の111系・153系電車などに併結 運転するために、クモハユ同様、旧型電車(モハ72形)から 改造されました。 房総では、先にクモハユ74が津田沼区、その後、クモユニ74が 7両が幕張区に配置され、全10両が道路事情が悪い房総地区 の新聞・荷物を輸送にあたりました。その後、1986年(S61)に、 新性能クモユニ143と交代し、廃車となりました。 写真(上)は、両国へ向かう(後尾)クモユニ 3両+クモハユ 1両です。 [1976年1月/小岩駅] (汽車・電車1971〜様の許可を得て転載) 写真(下)は、総武快速線 市川にて (遥かなる追憶の鉄路様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、茂原駅に停車中。 [一宮方から撮影] (スピードスター様より、提供) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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クモユニ143形 (電車) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1981年(S56)に身延線で旧型と置き換える目的で4両が新造 されました。その後、1985年(S60)に同線の荷物輸送の合理化 により、4両とも長岡区へ転属、上越線で活躍後、翌年の1986年 (S61)に幕張区に転属となりました。 4両は、総武、成田、外房、内房の房総各線で活躍しました。 しかし、国鉄末期には郵便・手小荷物輸送廃止となり、次第に 道路網の整備が進むとその活躍の場を失っていきました。 晩年は、2両(外房線/内房線)のみの運用となってしまいました。 1996年(H8)11月30日をもってクモユニ143形による輸送が 廃止され、新聞輸送は普通電車(113系)の最後尾の1両を使用 して継続されています。 引退後は、JR東日本の東京総合車両センター(大井)に入換用 (1両)、大宮総合車両センターに保管車(1輌)、長野総合車両 センター(職員輸送用/スカ色のまま)として余生を送っています。 写真(1)は、クモユニ143(手前)とクモニ143-2号。 [1985(S60)/原宿駅] (海洋紀行様の許可を得て転載) (写真をクリックすると、拡大表示されます) 写真(2)は、両国から千葉へ向かう2両編成 [1994年(H6)3月/市川駅] (汽車・電車1971〜様の許可を得て転載) (写真をクリックすると、拡大表示されます) 写真(3)は、普通列車(113系)との併結列車 [1994年(H6)8月/安房鴨川駅] (汽車・電車1971〜様の許可を得て転載) 写真(4)は、東京総合車両センターにて。 手すりの取り付け、塗装変更がなされています。 [2003年(H15)8月] (海洋紀行様の許可を得て転載) |
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旧木原線(いすみ鉄道) |
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蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
C12形蒸気機関車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1932年(S7)に地方りローカル線用に開発されたタンク式の小型 蒸気機関車です。 房総では、1936年(S11)頃、木更津機関区と大原機関区には、 2両配置されていました。木原線で客車を2〜3両を牽引してた ようです。 同型は現在、真岡鉄道、大井川鉄道などで動態保存されています。 写真は、木原線の列車を牽くC12 [1935年(S10)] (大多喜町役場企画課様の許可を得て転載) 【参考写真】 上: C12-49号機 [1968年6月(S43)/桐生区] (鉄道模型と工作様の許可を得て転載) 下: 真岡鉄道の「SLもおか号」(C12-325号機) (民間航空機と鉄道写真のページ様の許可を得て転載) ←上・下の写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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気動車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キハ41000系 (キハ04/05/06) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1933年(S8)に鉄道省(国鉄)が、量産できる機械式の軽量 ガソリン動車を開発し、後にキハ04〜06に改番されました。 木原線では、車両を小改造して燃料をガソリンから天然ガスに して走っていたようです。 写真の左側が、キハ04の23号機です。混雑時には、レール バスを連結して走りました。 [1960年(S35)/大原駅] (はーさんの思い出の鉄道画像様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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キハ42000系 (キハ07) |
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・1935年(S10)に誕生した国鉄の流線形ガソリン動車です。 写真は、キハ07-117号です。 [1960年(S35)/大原駅] (はーさんの思い出の鉄道画像様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 【参考写真】 国鉄旧標準色のキハ07です。 (1/150 Nゲージ 津川洋行製) |
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キハ01(レールバス) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1954年(S29)-1956年(S31)にかけて49両が製造され、全国 のローカル線で活躍しました。しかし、製造コストを抑えたため、 耐久性がなく、誕生後10年程度で廃車になってしまいました。 写真は、キハ01-4号機とキハ01-3号機です。 [1960年(S35)/大原駅] (はーさんの思い出の鉄道画像様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、途中には学校があるため、混雑時には、キハ07を連結して いるところです。 また、房総東線の電化に伴い不要になっキハ11形(両運転台)も 使われたようです。 [1960年(S35)] (はーさんの思い出の鉄道画像様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は終点の上総中野に到着、停車しているところです。 反対ホームは、小湊鉄道の気動車です。 [1960年(S35)/木原線 上総中野駅] (はーさんの思い出の鉄道画像様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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【参考写真】 1/150 Nゲージ TOMIX製 |
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キハ17系 (キハ45000系) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1953年(S28)に登場した一般用気動車です。 キハ17系の2両編成が、木原線(上総中野)から、外房線(千葉) への乗り入れもありました。 当時のサボです。 (大多喜町・房総中央鉄道館所蔵品) |
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キハ35系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・1961年(S36)に登場した、都市周辺部の非電化区間での混雑 緩和のため増備された通勤用気動車です。 写真は、国鉄末期の写真です。千葉鉄道管理局のヘッドマークが 付いています。まだこの頃はタブレット交換でした。 [1987年頃] (大多喜町・房総中央鉄道館所蔵品) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、片運転台形・トイレ付きのキハ35形です。 [1987年(S62)8月/上総中野駅] (横丁の名探偵様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、1962年(S37)に片運転台・トイレ無しタイプとして登場した キハ36形です。 [1987年(S62)8月/大原駅] (横丁の名探偵様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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・写真は、上記の組み合わせの2両編成です。 上総中野駅は終点であり、小湊鉄道への接続駅でもあります。 [1987年(S62)8月/上総中野駅] (横丁の名探偵様の許可を得て転載) ←写真をクリックすると、拡大表示されます。 |
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【参考】 京葉線 |
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電車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
103系通勤形電車 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・近代通勤電車の元祖103系の初期車(低運転台)です。 103系は、旧国鉄の標準型の通勤形電車として、1963年(S38) に登場しました。 翌年から量産が始まり、1984年(S59)まで3,447両が製造され、 同一系式では日本最高量数を誇っていました。 [2000年(H12)12月/蘇我駅] |
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・1973年(S48)から量産された高運転台タイプです。 近年老朽化による後継車両への置換えが進んでいるので、JR 東日本では、ほとんど見られなくなりました。 しかし、JR西日本では、ユニバーサルスタジオジャパンへの アクセス用などにリニューアル化した車両が活躍を続けています。 [2000年(H12)12月/蘇我駅] |
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